最近各地で大きな地震が発生しています。被災された皆様のご心労やご不便を拝察致しご案じ致しております。どうかご自愛くださいますよう心よりお祈り致します。
さて、こういう地震などが発生した場合、美術館博物館の作品などが大丈夫なものか、心配ですね。
今まで複数の美術館の収蔵庫などを拝見させていただいていますが(東博では臨時職で勤めていましたので、仕事として定期的に様子をみておりましたが)、おおよそ「絵画」に関しては作品が棚から落ちるとか、壁から落ちるというようなことはないように思っています。
とはいえ、仮に作品の状態として、絵画層が下層の絵画層や、下地層、あるいは基底材との固着のよくない状態にありますと、大きな振動とともにそれらが剥落してしまう、という事故が発生してもおかしくはありません。
また、どのような素材で描かれているかということも重要です。例えばブログ主自身は実際に見たことはありませんが、パステルで描かれた作品が、運搬中(だったかな)の振動によりダメになってしまったという話を聞いたことがあります。
木炭デッサンなどをしたことがある方だと想像しやすいとは思いますが、木炭デッサンで「消す」方法の一つとして、紙(基底材)を指ではじくことで「振動」を起こして消す(調子を弱める)のです。
ですので、絵画においては多くの場合「基底材」などの根本からの損傷というのはそう多くは発生しないようですが、描画方法によっては振動というのは「美的」な意味では損傷が発生する恐れのある要因でもあります。
対してこういった地震などが発生すると、破損の恐れが多いのが「割れる」素材だと思います。ガラス、陶器、磁器、素焼き、石膏、石などです。
こういう素材からなる物体というのは、「破損」さえしなければ比較的残る素材だと思います。とはいえ、石などでも摩耗はしますので、完全体で、とはいいませんが。
しかしながら、紀元前の遺跡であるロゼッタストーンは今でも「勅令の一部」であると理解されるほどに残っていますし、シュメール人が残した粘土板も文字が書かれていることがわかる程度に基底材が残っているものもあります(最も古いシュメール文字は紀元前3000年ほどでしょうか。それが残っているってすごいことですし、逆に我々が紙にボールペンで書いたものが5000年の残るのだろうか?とか、あるいはハードディスクやネット上で残した情報が、それだけ文明が異なる世界で「読める状態」で残るのかなと疑問になります)。
ちなみにこのシュメール文字は個人的に興味深くて。基底材が粘土板であることから、石に刻むよりも簡単に表記できる上、もし間違った表記をしても修正できる便利さがありました。反面、乾かしたりあるいは陶器をつくるように焼くと、もう文字板の上に書かれた文字を改変することができなくなります。文字の発達と、この「消えない証拠」の形成で、シュメール文化においては「契約」が登場したといわれます。
「契約」って「言った、言わない」が起こると大変なことになりますからね。ですので、「改変できない証拠」の存在って大きいのです。こうした商取引信用が保証されたことで、シュメールは繁栄して、富が集中したといわれています。
実際このようにシュメールでは富が集まったことから、他国との戦争が絶えず、この戦争によって粘土板の倉庫が焼かれて構成にシュメール文字の書かれた粘土板(焼き上がったもの)が発掘されるようになったとされます。ですので、契約書をこういう粘土板にしますと、ある意味火事が発生しても困りませんよ、と言えるかもしれません(汗)。
反面、これら粘土版(焼いたもの)や石、ガラスに陶器や陶磁は、衝撃に非常に弱い。誰もが生涯に一度はコップ、お茶碗、窓ガラス、といった何かが自分、あるいは周囲の人の不注意で割れた、という経験をお持ちだと思います。ショックが大きい経験ですよね…。
最近の美術館の話題では、今年の2月にジェフ・クーンズ(Jeff Koons)氏作の「バルーン・ドッグ(baloon dog)」が粉々になったというものがありました。
実際ブログ主自身、海外留学中に某美術館所蔵の粉々になってしまった石膏作品の修復に関わったことがあります。意外と美術館の作品、こういう目に合います…。
じゃあ、衝撃を加えても割れず、破片なども落ちず…というものはないのか、というと、金属製のものは「割れ」はしませんし、破片も大概は落ちません。
じゃあ金属が最強か?といいますと、そうではありません。金属は錆びます。水分に対しては考え物です。また衝撃を与えると、割れはしませんが、変形します。
皆様もご経験がある方、いるかとは思いますが、一度変形させた金属を戻そうとしても戻らず、さらに変な形に変形させてしまったり、あるいは変形修正のはずが、折れの部分から脆弱な状態もしくはその部分から切断してしまった、といったことあると思います。変形したものを、下手に触れないんですよね…(少なくともブログ主は金属に関しては詳しくありませんので、それ自体の変形を脆弱化させずに戻す方法に関しては明るくありません)。
こういう風に考えると、振動というのはいかなる文化財においても不安のあるものであることがわかると同時に、そういったものから作品を適正に保存してくださっている美術館博物館、そしてそこで勤務されている学芸員の皆様、耐震構造の研究をされている方々への感謝を感じます。
ただ、私自身、地震被害(あるいは他の自然災害)の発生した地域に過去に住んでいても、奇異なことに、そして幸いなことにそれらに合わないまま、色々転々と過ごしてまいりました。それは本当にありがたいことであると同時に、現場の実情に関しては疎いともいえると思います。
今までは上記のとおり、ありがたくも被災しない状態を過ごしてまいりましたが、今後何があるかもわかりませんし(どこに移動して生活していくかもわかりませんし)、また仕事の上でも非常に重要なことであると認識しておりますので、今後こういったことを個人的に学んでいけたらとも思います。
まだまだ地震に関しましては警戒を怠らない態度が必要なように感じますが、改めまして皆さまどうぞご自愛ください。
本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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