このシリーズ最初の記事より、美術や絵画の発展の歴史について、ごくごく簡略的なお話ですが、書いております。また、美術史の順番どおりとしてまずギリシャ美術に関してお話しました(ギリシャ美術続き①、ギリシャ美術続き②)。また順番に則り、直近の記事からローマ美術に関してお話しております。
今回もローマ美術についてのお話の続きです。
なお、このシリーズの記事で常に同じに書いておりますが、当ブログでは美術史に関しごくごく簡略的なお話のみを書いていきます。あくまでもこういう記事を読むことで、当時の美術作品および西洋美術史などに興味を持ってただけたら嬉しいな、という記事であって直接研究やお勉強に役立つものではないとお考えください。
ですので詳細な美術史などを学びたいなどの場合は、いろんな文献などがでておりますので、是非そちらをご参照くださいませ(ぺこり)。
ローマ美術と初期キリスト教美術への移行
先の記事では、ギリシャや初期ローマでは宗教は多神教であったにも関わらず、1世紀ごろからキリスト教が入ってきて、313年のミラノ勅令によりとりあえず「キリスト教の信仰の公認」がなされたこと。
また、330年にローマは西ローマと東ローマの2つに分断されるが、美術の様式としては5世紀くらいまではこの2つにおいて大きな違いはない未分化な状態であったことまでをお話しました。
しかし5世紀に、北方からきたゲルマン民族に西ローマ帝国が滅ぼされると、ローマ教会はそれまでの布教のための出資者を失うこととなりました。
ローマ教会はこれまで西ローマ帝国が保護してきた教会であることから、その保護者である西ローマ帝国が滅ぼされる、ということは、教会を保護し支えてくれるものがない、ということです。これは教会にとって死活問題です。
宗教関係者が妖精や仙人であれば、別段信者がいなくとも困ることはなかったでしょうが、生身の人間ですので衣食住は必要です。これらにはお金が必要なのです。そうすると宗教関係者はどこからお金をもってくるか、というと信者の寄進に因るんですね。昨今日本でも新興宗教によるお布施問題がニュースになっていますが、こういうのに限らず、「信ずるものはお金を落としてくれる」ということで、その数が多ければ多いほど、宗教関係にとってはありがたいことなわけです(神社やお寺でひくおみくじなどにしても、そのおみくじを引いてくれる人数が多ければおおいほど、単純計算として収入につながりますからね。こういうものにお金を支払う、というのは、ある程度信心があってのことですから)。
このことから寄進をする出資者を求め、西ローマはゲルマン人を信者として取り込む必要性を痛感していきます。しかし、ゲルマン人は外国人です。日本人がドイツ人に仏教を布教するような感じです。こういう場合、どうするでしょうか?
我々が乳幼児で言葉が分からなった頃、親御さんがよくやるのは「絵本」を使った読み聞かせです。文字や言葉がわからなくとも、視覚的効果を助けに、親の声から我々は描かれた何かを学び始めた、ということが多いのではないでしょうか。
落書きにせよ、力作の絵画作品でもそうですが、美術、絵画の効果の一つはこういう非言語的な伝達を容易にするところにあると考えられます。この効果を利用することによって、異国人であるゲルマン人を信者にしようと思ったんでしょうね。
こういう経緯よりローマ教会は、キリスト教では禁止されている偶像、すなわち聖像を使った布教を行いはじめます。言語も習慣も異なる異民族のゲルマン人にキリスト教を理解してもらうには、苦悩のキリストや哀悼するマリアのような視覚情報に頼るほうが手っ取り早かったからです。
一方、東ローマ帝国は、15世紀まで命脈を保ちますが、東ローマにおいても識字率が低かったことは同様で、やはり布教のためには、禁止されてはいても、ある種の偶像は必要でした。ですので、「イコン」やモザイクが盛んに製作されましたが、お約束として、リアルな表現ではなく、平面的で観念的な表現がなされるようになりました。
このように、もとは同一の帝国だったものから異なる文化が形成され、そのうちの東方正教会が作り上げた美術をビザンティン美術とし、西ヨーロッパ美術と相対する様式をなしていきます。
ちなみに、ローマ教会が偶像という禁じ手を使って居ると知ったコンスタンティノープル教会は、 猛然とローマ教会を非難し始めます。ここからこの両者の対立は決定的となり、最終的にローマ教会はカトリック(katholiek 蘭語 普遍=みんなのキリスト教)、コンスタンティノープル教会はギリシア正教(東方正教会など、 正しいキリスト教)と名乗るようになり、別々の宗派として存在することとなります。
本日のまとめ的なもの
キリスト教に限らずもともといろんな宗教において「偶像崇拝基本禁止」であるにも関わらず、なんらかの絵画や彫刻が存在するのは、こういう「視覚的補助があると布教しやすい」という事実があるからかもしれませんね。
また、東方美術はなかなか表現が近寄りがたく、親近感を抱きにくい(と個人的に感じているのですが)のですが、こういう表現(リアルではない、硬い表現)の理由を理解すると、結構納得できる気がするんです。
なんといいますか、「リアル」じゃないと、「下手くそ」って思ってしまいがちじゃないですか(苦笑)。必ずしもそういうことが理由じゃないんだよと思うと、作品への見え方も変わると思います。
というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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