文化財(絵画)が持ちうる二つの価値:「美的価値」と「歴史的価値」

修復を学ぶ

2つ先の記事にて、絵画(文化財)の保存修復というのは、「修理」という考え方より「医療」的な考え方のほうが近しいよ、というお話を書きました。

また直近の記事では「でも美容整形みたいなものもあるじゃないか」という話を書きました。

この際、美容整形でも物品修理であっても、文化財の保存修復でも、美観的にであろうと機能的にであろうと、物理的に新品の姿(若い姿)にすることはできませんよということと、そもそもに「若い姿(新品の姿)」のみが美しいとも限らないというお話をさせて頂きました。

ここでちょっと考えるに、絵画(文化財)に求められる価値のようなものは何でしょうか。

「美しくあること」

「人を楽しませること」

「高価であること」

「所有者の権威を高めること」

「所有欲を掻き立てること」

…。

これらはすべての作品に共通しませんし、個人の感覚に依存する部分もあるように感じます。

なので、個人的感覚によらない一応この業界の学術的な回答でいいますと、絵画(文化財)の持つ価値は、「美的価値」と「歴史的価値」のふたつとなります。

文化財の持つふたつの価値:「美的価値」と「歴史的価値」

ただこの「美的価値」と「歴史的価値」というのは、我々の業界では「修復倫理」という、結構難しいところに触れる話で、ゆる~くやりたいこのブログの、しかもしょっぱなに話す話でもあるまいということで、また機会を見て説明する予定です。ですのでここではものすごくおおざっぱな説明となります。

「美的価値」というのは、想像しやすいだろうと思いますが、すなわち作品が表す美観(見た目)、イメージとしての価値。

対して後者の「歴史的価値」ですが、これはいわば作品が生まれてから現在までに経てきた経験といいますか、変遷みたいなものも含む時間経過による価値、というとわかりよいでしょうか。

この歴史的価値の部分なんかは、ダメージととらえるかアンティーク的な魅力ととらえるかの部分といったらわかりやすいでしょうか。

この両者を持つのが文化財なんですね。

文化財(絵画)は完全無欠じゃないと、無価値?

上記の理屈の上で、「でも、やっぱり作品ってのは新品同然がいいじゃないですか!」とおっしゃるだろう気持ちというのは我々も理解できます。

ただ、ここが簡単に説明するのが難しいところなのですが「美術作品は、オリジナルが完全無欠な状態に限るのか」という問いを考えると、半歩程度でも理解に近づくかもと思います。

例えば「ミロのビーナス」は腕がないですが、これは美術品、文化財と呼べないものでしょうか?

答えはNO、ですよね? 欠損や損傷があっても美術品は美術品で、それがたとえ修復されなくとも美的・歴史的価値は失いません。

下賤な言い方をすれば、現在「ミロのビーナス」を所有しているルーヴル美術館が、別の美術館に売り渡すことをする際「腕がないから売値は安くするね」ということもありません。

このように、「文化財の一部が欠損」していようとも、文化財の価値が下落したり、暴落することはありません。

逆に、空想や想像で「ミロのビーナス」に腕を付けるのは作品への冒涜ですよね(オマージュとか、インスピレーションとかで別作品を作るのは別ですよ。修復と称して不正確な偽りの腕を付けるのはアウト)。

そういう意味で「新品同様にする」のが我々の仕事ではありませんし、実際実現不可能です。

しかしながら、明確に「現在は失われているが、本来はこうである」と言える箇所などに関し、あくまでも「作品鑑賞における妨げを無くす便宜的な措置(一時的に欠点がない状態にする措置)として」行うのが保存修復処置です。

何世紀も時を経ている作品なんかは、すでに何度も修復処置を受けているのでそういう処置を美術館で確認するのも面白いですけど、同時に思いのほか亀裂とかを「美しいもの」としてとらえていることを前提に作品を見てみても面白いと思います。

絵画作品で有名なモナ・リザなんかの写真はネットでどれだけでも拾えますけど、「美しい亀裂」が画面全体に走っているのが観察できます。

真新しいもののみが、若さだけが、美しさではないよと(若くない私のひがみのようですが。苦笑)。

本日のまとめとして

年齢ごとの美しさ、その年齢だからこその神々しさというものが人間にも文化財(絵画)もあるよということ。

美観上の問題なども、どう捉えるかによって、評価が異なることもあるということ。

そういうことをちょっと思っていていただけるといいかなと思います。

こういう考えをベースに、文化財(絵画)の保存修復関係者がお仕事をしていると思うと、我々のお仕事が「なにも考えず作品の上から塗るお仕事」と捉えられるの、変だなって思いますよね。

そもそも論として、オリジナルの作品を、画家以外の人が覆いかくしてしまうことは、画家の意志ではないですし、やるべきことではないことはご理解いただけるのではないでしょうか。

というところで本日はここまでとなります。最後まで当記事をご覧いただき、ありがとうございます。

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