絵画の損傷を大きく分類してみる:過去の処置に伴う損傷-「損傷」というより、「変化」という言葉のほうがしっくりくるかも-

修復を学ぶ

2つ前の記事から、絵画の損傷を大きく3つに分類してみております。

この記事ではこの大きく3つに分類した「損傷」の最後の3つ目を見ていきます。

過去の処置に伴う損傷:処置自体が悪いというわけではありません

大きく分類した「損傷」3つめは「過去の処置に伴う損傷」です。これをいうと、大学で教鞭をとっていた頃、必ず学生の何割かは「修復はするべきではない」というそういうリアクションシートを提出してきて頭を抱えておりました(汗)。

その主たる原因は「損傷」という分類に入れているからとは思いますが、この記事を書きつつ思ったことに「損傷」というより「変化」という言い方のほうがよいのか…?とも思いつつおります。

ただ、あえて「損傷」と書いているのは、最終的にはそれらに対してなんらかの「処置」を要することとなるためです。「オリジナルである」「オリジナルではない」を区別することも大事ですし、またその「オリジナルではない」部分が、「オリジナルに対して不適切な状態である場合」に、きちんとそれを区別しなくてはならない。少なくとも「処置するか否か」のテーブルに載せる必要がでる段階で、「困った状態」ではあるはずですので、そういう意味で「損傷」と分類するしかないんですよね。

ただ、繰り返しますが「処置したのがダメ」とかそういう話ではないことは、先に重々ご理解いただきたいです。

過去の処置に伴う損傷ってどういうこと?:この場合の「損傷」は、「再処置を要する箇所」位に捉えるとよいかも

では「過去の処置に伴う損傷」とは、どういうことでしょうか。

いかなる修復であろうとも、あるいはいかなる修復家が実施した処置であろうとも絶対的に生じることとして、「修復処置の経年」がまず挙げられます。

作品オリジナルが経年で変色したり、脆弱化するのに対し、修復素材や修復処置が永続するなんてことはありません。修復素材や修復処置も経年しますし、脆弱化や変色をするのです。

以前に書いた記事でも、「よくある誤解」として、「一度修復したらもう二度と修復しない」みたいなものがあると書きましたが、実際はそうではなく、近現代の修復技術でも、50年100年修復の状態が保つよう力は入れつつも、さすがに100年とかは保たないのが現実です。つまり、ある程度の年月で、「再修復」するのが前提なわけです。

なぜかといえば、そもそもに「作品を構成するオリジナルの素材」と「修復素材」は一般的には同じものは使わないためです。例えば「油絵具で描かれた作品の修復に、油絵具で修復する」とよく誤解されますが、これは決して、声を大きくして、決してやりません。こんなことをすると作品のためにはなりません。油絵の補彩をする場合、「油絵具」とは異なる素材を使用します。

その理由としては、先に書きましたとおり、「修復素材」も永続性のあるものではないこと(つまり常に除去されて、再度処置され直すことが前提であること)。そして、大前提として「修復」は「オリジナル」ではないからです。当たり前ですよね。「オリジナル」ではないからこそ、「修復」は「かりそめ」でしかなく、必要な際に、いついかなる時であろうとも、作品に対して害をなさずに容易に除去できなければならない。これが修復における大前提です。

油絵具はあまり身近ではないので、例えば水彩絵の具の作品の画面が一部欠けているからと、水彩で補彩したらどうでしょう?将来的に「補彩箇所のみ除去する」際に、オリジナルを傷めることは目に見えていますよね?ですから、オリジナルを傷めずに除去できない方法(オリジナルと同じ素材など)では可逆ができなくなるのでやってはいけないことになっています。

ここで何が言いたいかと言いますと、例えば油絵具と水彩とアクリル絵の具のように、異なる素材からなる絵具を同じ年数経年させたとき、例え同じ色彩であろうとも、同じような色の変わり方はしない、ということです。オリジナルと処置の素材が異なる限り、処置後に1年、5年、10年と年月を経るにつれて、いかに処置当初キレイに処置部分の色が適正になっていても、将来的には処置が可視化されることとなります。そういう作品、よく美術館(特別展などの作品でも)で見つけることができます。

あるいはですが、そもそも論として文化財の保存修復という専門の歴史というのは非常に短いことから(勿論「作品に手を入れる」という歴史は長いのですが)、倫理的な考えや技術の確立、修復素材への考え方の発達が非常に急激だったんですね。こういう発達は科学の発達あってこその反面、その科学の発達のおかげで出てきた素材、あるいは技術が必ずしも作品にとって最良だったというわけではなかったことが「経年して初めてわかる」ということも勿論あるわけで。

それは当時が未熟だから、というわけではなく、もしかしたら現在の素材あるいは技術も将来的にはそういわれる可能性だってゼロではなくて。だって、今より未来のほうがより良い素材やよりよい技術が出てくる可能性なんてどれだけもありますから。

なんていうんでしょう。現在の技術などの恩恵というのは、過去の経験ありきであって、いきなり現代の修復家がすばらしい知識や技術を持ちえたわけではないんです。文化財の修復というのは、あくまでも「かりそめ」であるからこそ、定期的に処置をする必要性がある中で、「過去の処置」を見つめることで、「現代ではもうこれはやらない」という処置を見ることがあります。でも、それは「その当時」は「最良」だったりする。

医療なんかもそうでしょう。例えば私が子供の頃は盲腸は1週間ほど入院の必要な手術を要しましたが、最近は内視鏡で手術するので、日帰りだったか、1日程度の入院で済む手術となりました。手術の方法、技術、あるいは道具や素材、薬の向上など、いろんな要因によって、「方法」などがアップデートされる中で、患者さんへの負担の少ない形になっていく。これと同じようなことが文化財の保存修復でもあるわけです。

医療と違うのは、医療の場合は盲腸の手術で切ったところは、自己治癒能力のおかげでふさがりますが、文化財は自己治癒はしないので、処置されたらその処置はそこに常に存在するわけです。過去の処置は、それを除去しない限りはそこにある。30年前の処置、50年前の処置で、「今はこんなやり方はしない」というものは、いくら当時「最先端」でも、現代使わないだけの理由がありますので、「不適切な処置として除去したほうがよい」と判断されれば、「手入れすべき箇所」と考えることができます。

ですので、この「過去の修復処置に伴う損傷」というのは、「壊れた箇所」と捉えるより、「再処置が必要な部分」というように考えると、頭が整理されるかなと考えます。

勿論、中には「過去の処置のせいで作品が壊れてしまった…。もうオリジナルの状態には戻せない」というものもあります。そういう悲劇が過去にあるからこそ、我々保存修復家は「壊れている→手を入れよう」という脳みそを通さない行動をするのではなく、きちんと「この作品に手入れは本当に必要なのか」に始まり、実際に処置を施す必要があるなら、「作品にとって適正で最良の方法」を導き出す必要があるのです。

本日のまとめとして

何度も繰り返しとなりますが、「修復はすべきことではない」というような、そういうことが言いたいわけではありません。

いかに最善を尽くしても、現代の科学的な進歩があっても、「修復の効果には期限がある」と考えて頂くとよいと思います。「再手入れ」が必要になる時期が、いかなる処置に対してもくるのです。

あるいは、過去の処置が作品に対して負担の大きい処置でもって実施されている場合、現代において負担軽減ができる方法にできるなら、「再処置する」ほうが好ましい。

こういったことで、「過去の処置もこのまま残そう」ではなく、「過去の処置はいったん除去したほうがいい」と判断される時というのは、「手入れが要る」ということに当たるので、「損傷=再処置がいるもの」とみなすというふうに考えてもらえるといいなぁ。実際「過去の処置を残す」という判断は、いろんな場面でやりますから。「過去の処置」が「悪」という風に固定観念で捉えないでもらえたらなと、思います。難しいですね。

というわけで本日はここまで。

最後まで読んで下さりありがとうございます。

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