先の記事にて、卒論のテーマが決まらない理由として3つ挙げました。「①勉強不足」「②興味不足」「③プライドの高さ」ですね。
③はわかりにくいとは思いますが、最近の学生さんにある感じだと「他者評価を気にしすぎ」ということです。「自分の価値を高いものに見てほしい」「できる学生だと思われたい」みたいな、そんなテーマをお探しな感じです。
これに対して本当に必要なのは、「これが知りたい」とか「これが疑問」といった本当に簡単な能動的な動機です。「推し」のことは何でも知りたいわ、みたいなの、あるでしょう?そういうものは、親とか先生とかから「調べろ」と言わずとも、調べるし、暗記もするでしょう?そういう能動的な動機が本当は必要で、「これをやったら先生が評価してくれるかな」とか、そういう判断基準ではだいたいうまくいかないものです。
しかし、「そもそもテーマの良さ」だって研究の価値に関わるでしょう?と疑問の方もいらっしゃると思います。
でもじゃあ、「テーマの良さ」ってなんでしょうね?本日はそういうお話。
学生が「よいテーマ」と思うもの
学生さんがどういう研究テーマを「よいテーマ」と思うかというと、これはあくまでもエヴィデンスがある話ではなく(心理的、学術的な話ではないということね)、ブログ主が教員をしていての印象なのですが以下3点が挙げられます:
①利用価値があること
②過去の卒論発表などで高評価だったもの(学生自身がよい研究だと認識したもの)
③教員の研究あるいは、大学の研究に関わるため、そもそもとして箔のついているもの
①は置いておくとしても、他は「すでに付加価値がついている」研究であることがわかると思います。特に③ですね。③に関しては、その研究が広く知られているものの場合、「入学希望の理由」にもよく入っているので、教員は結構耳にタコだったりもします(笑)。
さて、この段階で①以外に関しては、自ら能動的に勉強した結果ではない、ということがおそらく理解できると思います。
「二匹目のどじょう」、「他人のふんどしで相撲をとる」状態です。
ちなみに別に②も③も否定しているわけではありません。研究というのは、先の研究にさらに付加価値を付けたり、あるいは先の研究への否定など、いろんなことができますので、「●●先輩がすでに××のテーマをやっているから。そのテーマは研究できない」ということはありません。そこは勘違いなさらずに。
また、大学の研究、教員の研究に絡むものであれば、その大学に入学した意味、その教員のゼミに入った意味としても双方にとり「良かった」ことではありますので、そこも別に問題はありません。
問題があるとすれば、その先輩の研究が「賞をとったから」みたいなことで決めて、先輩の研究内容を全く理解しないままの選択だったり、大学や教員の研究にのっかるにせよ、その教員の研究がどういうものであるという理解がある上で、「だからこういう研究がしたい!」というような、すなわち継続中であれ過去の研究であれ、その研究自体を理解した上で「何がやりたい」って言える気概が必要ってことです。
だって「やりたい!」って研究の内容も知らず、その研究に加わりたいけど「わかんないから、先生が決めるでしょ!」って考え、その研究を過去にやった先輩や、研究中の大学機関・研究機関・主要研究者の先生に対して失礼だと思いませんか?
自分が大事に研究しているものを、「え、なにその研究、それしらな~い。でもすごいんでしょう?だから私もやりた~い。だって、大学の研究に私の名前がつくって、私、ちゃんと勉強したって箔がつくじゃん」ってどう思います?失礼だなって思いますよね(^^;)。そういう人と一緒に研究しよう!って思うの難しいですよね。
なににせよ、きちんと事前勉強をして、その上で「研究に加わりたい」とか「この先輩の研究の付け加えとして・おかしいところへの指摘として」やりたいというのは、ものすごく歓迎されるでしょう。
違う言い方をすれば「テーマをとっとと決めてしまいたいから」「わかんないからなんとなく」と、「楽」を求めて他人に決定をゆだねてしまったり、「他人の研究(教員の研究や大学の研究)にのっかれば楽ちんだろう」と考えるのは、将来的に「楽」にはならないから、やめたほうが学生さんご本人のためと思います。
おそらくブログ主のゼミにいたことのがある学生なら聞き覚えのあることですが、常にブログ主は「同じ字を書いても【楽しい】と【楽(らく)】は天国と地獄ほど違う。【楽しい】は選んでも【楽】は選ぶな」と言ってきました。
なぜならどんなに学生さん自身が「この研究やりたい!」と、「楽しい」「やる気がある」気持ちでテーマを選んでも、最低半年程度向かう研究ですから、必ず辛い時期ってきます。研究が進まないとストレスも溜まりますから、ブログ主の研究室に「どうしよう~!」と愚痴をいいに来る学生さんも一人やそこらではありませんでした。
やる気に満ち溢れて選択した研究テーマでもそうですから、「楽」を選んだ場合、研究ですからね、本来「楽」ではないですから、そのストレスにぶち当たったときに、研究が全然進まない、学校に来ない、研究に向き合いたくないって学生さん、出るんですよ、本当に。
勿論、提出される卒論は卒業できるかできないかのぎりぎりのものしか提出されないので、「先生の研究に関わって箔がつく」どころか…になっちゃうんでね…。
ですので、「すごいって思われたーい!」っていう「他者評価」はよそにおいてほしいですね。そういう「他者評価がよさそう!」っていうのが「学生さんの思う良いテーマ」で、「それって他の人から見て意味あるの?って思われない?」ってなると、敬遠しちゃうんですよね(笑)。
本日のまとめ:毎日自ら進んで研究でき、研究自体が苦痛ではなく、楽しいというテーマが、良いテーマ
大学の卒論程度のもののテーマなんて、正直「これが疑問なので、これに関して研究してみた」で十分花丸案件で。正直難しいことをする必要性なんてないんだよ、というのが正直言いたいことです。
でも、「その小さい疑問がみつからないんだよー!」というのが世の大学生のお悩みなわけなんですが(笑)。テーマを選定するときに「すごい」とか「価値がある」とか「頭がよいと思われる」とか、そういう「他者基準」をとにかく取っ払ってほしいです。そういう考えが、テーマを探す上で色々邪魔になっていたりするので。
研究って本人がしないとどうしようもないし、「かっこいいテーマ」でも、本人が頑張らないと「かっこいい結果」って得られないのね。「テーマがかっこいい」じゃなくて、「どこまで自分が頑張れるか」が「素敵な結果」に関わるわけです。
で、自分が「楽しい~!」って思える研究内容(勉強の内容)なら、「面倒だなぁ」と思っても、「まぁ、楽しいからいいか」で乗り切れる(自ら毎日研究を継続できる)のですが、「研究」だけは「見栄」とは「箔」ではできないんですよ。「見栄」で勉強できるなら、誰でも東大でもハーバードでも行っています(笑)。20年前後も生きていれば、自分が自主的に勉強する人間か否か、わかるじゃないですか(苦笑)。TVやyoutube、ゲーム、おしゃれや買い物よりも勉強が楽しくないから、「苦痛」しかないから、やらないの、わかりますよね。逆に少しでも「楽しい部分(わかると楽しい!とか)」を持っていたら、勉強継続できた、だと思うのです。
卒論のテーマに関しては、ゼミ事にある種の制限があるとは思いますが、それでも学生さんにある程度の選択権はあるはずです。ですので、できるだけ「楽しく」できる、「面倒だなぁ」と思っても自ら「でも楽しいところもあるから、始めるか…」と腰をあげれそうなものを選択してほしいですし、それが結果的には「よいテーマ」であるとブログ主は思っています。
よいテーマの選択のためには、担当教員の先生とよくよくお話してほしく思います。
というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうござます。
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