紙ってどんな素材⑪?:羊皮紙ってなあに?

修復を学ぶ

ここしばらく紙について記事を書いておりましたが、「紙」を語る上で多少関係のある羊皮紙についても記事を書こうかと思います。

そもそも論ではありますが、一般論でいうと羊皮紙は「紙」には分類されません。…結構びっくりしますよね(^^;)。

では一般論でいう「紙」とは何かというと、「植物繊維を原料とし、その繊維を絡ませながら、薄く平らに形成したもの」を指します。

上記に「羊皮紙」が含まれないのは、羊皮紙が獣皮からできており、植物繊維によるものではないからです(とはいえね、この世の総ての紙っぽいものが、全て植物繊維からなるのかというとそうでもないので、専門的な意味合いやある種狭義的に捉えるとよいのかなと思います)。

ところで羊皮紙は英語でparchment、仏語ではpercheminと呼びます。海外の言葉の由来というのはなかなかややこしいものですが、英語にせよ仏語にせよ、別に「紙」という意味合いがありそうな言葉ではないようなのですね。もっと明確にいえば、この言葉はこれは小アジアの古代都市「ペルガモン」に由来なのだそう。

ちなみにペルガモンとは、現在のトルコ西部、エーゲ海に近い都市ペルガマのことで、羊皮紙がラテン語でペルガメーナと呼ばれるのは、羊皮紙がペルガモンで初めてつくられたためといわれています。

モノの名前に生産地の名前が付く、というのはなるほどではあります。でも、なぜペルガモンで羊皮紙が?という疑問は残ったままですので、もう少々お話を続けてまいります。

かつてエジプトの領土を継承したプトレマイオス一世(前366-383)は学問を愛し、学術の復興を計って、当時の都アレキサンドリアに図書館を建てたのだそう。そして「図書館」には「本」がつきものなのですが、そこには最盛時においては数十万巻のパピルス本があったといわれています。

そう、「パピルス」による本です。当時、そんな数十万巻ものパピルス本が作れるほどエジプトではパピルス紙を生産していましたし、またそれを輸出もしてました。

ところがその後、エーゲ海に面した小アジアのペルガモンに都をおいていたロス王朝のエウメネス二世(前?-159)が、世界一の図書館の建設を企ます。実際ペルガモンの図書館は徐々の充実したものになっていった模様。さらにこともあろうに、アレキサンドリア図書館長で、書誌学者として名高いアリストファネスを自らの図書館に引き抜こうとしました。

これには当時のエジプト王プトレマイオス5世も怒りを隠せませんでした。なぜならエジプトの図書館は当時の世界中の文献を収集することを目的として建設され、古代最大にして最高の図書館とも、最古の学術の殿堂とも言われるほど名高いものだったためです。それを追う抜こうとする存在を気持ちのいいとは思えなかったんですね。さらにはその「気持ちのいいことではない」企画の実施のために、こちらの国の図書館長を引き抜くというのは、腹立たしいことこの上なかったことでしょう。

というわけでプトレマイオス5世はこのことに大いに怒り、アリストファネスを投獄しただけでなく、本のもととなる「パピルス」の輸出を禁止しました。図書館においては、その中身である蔵書こそが図書館の大事な部分ですから、「本」の素材がなければ「思想」も「哲学」も「学問」も記録ができません…。

本がなければ図書館にはなりえないと困ったエウメネス二世。そこで考案されたのが獣皮の使用だったのだそう。

皮肉なことに、エジプト特産のパピルスが輸出禁止になったことから誕生した羊皮紙は、その後西洋に遍く広まることになります。

ここまでのお話ですと、いきなりペルガモンで羊皮紙が発明されたような感じですが、実際は羊皮紙のように完成された獣皮紙ではなくとも、動物の皮が書写材料として用いられていたようです。

いわゆる、油彩画という技法が15世紀に「完成」したとは言われているけれど、油が絵画に使われたのが15世紀、ということが言いたいわけではなく、それ以前から油は絵画に使われていた、というのと同じ意味合いで考えるとよいのかもしれないですね。

つまり「パピルの輸出が禁止された」→「困ったな。そうだ!動物の皮で紙を作ろう!」といきなり完成品の上質な羊皮紙が「そうだ!京都行こう!」のノリで生じたわけではないくらいに考えるとよいかと思います。

こういった羊皮紙を作るという考えにおいてはペルガモンの土地柄もプラスに働いたのでしょう。もともとペルガモンにあるアナトリア地方では羊や山羊の放牧が盛んで、食用に飼育されておりました。それゆえに「皮」のために動物を育てていたのではなく、「食料」などのついでに大量の皮が入手できたことからの知恵なのでしょう(勿論獣皮は羊皮紙だけでなく、服や道具にも使用されていたと考えますが)。それゆえにペルガモンは古代世界で最も重要な羊皮の集産地であり、また仕上げ加工でありかつ地中海諸地域への輸出中心地であったという「獣皮」関係における地の利がありました。

こういった具合に、そもそも獣皮が身近にたくさんあって、生活に使われていなければ、「これを使おう」という発想にはならないのでしょう。

実際ブログ主は縁あって羊皮紙作りを経験させていただいたことがあるのですが(とはいえ、羊から皮をはぐところからはさすがにやってはいませんが…。汗)、色々な手順があることに驚くと同時に、このいろんな手順がいきなり「あ、京都行こう!」のノリで羊皮紙が作れるほど簡単に生み出されたとは思えないのです。

動物の皮が身近で、それでお洋服などを作っていたとはいえ、羊皮紙の作り方と革をなめす方法は違うので…、違うものを生み出し、改良し、完成させるには時間がかかるはずなので、当時の人たちの並々ならぬ努力を思うと、心からすごいなぁと思ってしまいます。

というわけで本日はすでに長く書いておりますので、ここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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