ここしばらく(主に)紙に関するお話をしております。
最初の記事においては紙の主要素となるセルロースに関して。次の記事ではそのセルロースに次いで紙を構成する2つの要素に関してお話しました。さらに直近の記事においては、具体的に紙の素材となる植物に関して簡略かつ代表的なものに限りますが記載しました。
今回のシリーズ中、この記事に最初にたどり着いちゃったという方は、記事の内容をより理解を深めるために、できることなら最初の記事から順に読んでいただけるとよいよいかもと思っております。ご面倒をおかけします旨申し訳ありません(ぺこり)。
というわけで、以下本日の本文。
紙を構成する3つの要素と、植物との関係性
直近の記事にて紙となる色々な素材(主に植物)についてお話しましたが、ここではこれらをまたそれ以前の記事の3つの要素(セルロース、ヘミセルロース、リグニン)の含有率と合わせて考えましょう。
木材使用以前(そして羊皮紙以降)ヨーロッパで紙に主原料となっていた木綿(コットン)は、実は殆どセルロースからなるとされています(勿論微量の別要素はあるはずですが、ほぼほぼセルロース、ということです)。ヘミセルロースやリグニンが脆弱さ、あるいは紙そのものを壊す危険性をはらむことを考えれば、セルロースのみでできている木綿というのは相当よい素材ではないでしょうか。
しかし後の別記事で考えようとは思いますが、「紙を構成する要素」として最良である「セルロース」のみからなる木綿(コットン)が、和紙より評価されていない現実があるのはなぜでしょう。…不思議ですね。
こうなってくると、「紙の耐久性」などを換算する場合、「紙を構成する3要素」のみが関わる話ではないかもしれない、という疑問がでてくるはずです(だからこそ、一つの結論を考える場合、多くの視点でものを観る必要性があります)。
さて、では木綿(コットン)に対し、通常「非常によい紙」と評価されている和紙、今回代表とするのは「コウゾ」ではありますが、こちらの3要素の割合は、セルロース60~65%、ヘミセルロース23%、リグニン3~8%と言われています。コウゾを構成するセルロースが7割に満たないことや、リグニンが含まれることを考えると、そもそもの要素自体に関しては、単純に考えた場合和紙は木綿からなる紙より低劣と言えるかもしれませんね。
さらに通常「あまり良質とは言い難い」とされる木材パルプ紙を見ていくと、針葉樹広葉樹とも、セルロース率は50%未満、ヘミセルロースはおそらく樹種などにもよるのでしょうが、2割から4割近く。さらにリグニン量は少なくとも2割弱から多くて3割弱ほど含まれます。単純に和紙やコットンと比較しても、セルロース量の少なさに対し、極端にリグニン量が増えることから、保存性や耐久性のなさや変色の恐れがあることがわかります。
でも、和紙と木材パルプの関係性では理解できることが、コットンが含まれるとややこしくなりますね(^^;)。だからこそ、「なぜ和紙がよし」とされるのか、「なぜ素材自体はよいと思われる木綿は評価されないのか」と考えてみる必要性があるわけです。
本日のまとめ的なもの
こういう話を大学で教員だった時に授業でやっていたのですが、紙に関する全体的な話をした後に、「和紙が最良と思っていたのに、木綿紙が…」と悩み始める学生さんが出てきました(苦笑。ここまでのお話では紙全体のお話は終了しておりません旨ご理解ください)。
これはよい兆しと困った兆しの両方を持っていまして。
よい兆しというのは「自分で考えようとしている」ということ。そういう常識に対してもいったん考えようとしていること。
困った兆しというのは「一つの情報だけで判断しようとしていること」。視野が狭くなりつつあること。
例えばこの記事で今回お話しました「素材がもつ要素」というのは、その製品の良さを評価する上での要素の1部でしかなく、他の考慮すべき要素もある場合はそういうことも差し引きして考えるべきなんですね。実際はなかなか難しいんですけど…!そして「紙の3要素」以外のお話は後の記事でするつもりですが。
大体にして、こういうブログにせよ授業にせよ、お話するのは一般論と言いますか、教科書的なお話である反面、実際の作品は千差万別で、一般論的ではなかったりもしますからね。ですので実際に作品と対峙する場合は、思いこみで観察すると怖いことが起こることもあります(汗)。
例えば作品ごとに基底材として使用されている紙に関わる状況が異なることでしょう。具体的には年齢(製造年)だったり、素材配合(コットンだけなのかとか他の不純物とかをいれていないのかとか)、どういう職人が作っているのか(この道50年とかの人なのか、1年目の人なのかとか)、素材自体のよしあし(お米とかワインとかだって、豊作とか味がよい年とかいろいろありますよね)、紙として製造されてからの保存の仕方、サイジングの有無、サイジングの素材、作品を構成する紙以外の素材とのマッチング、「どのように使われているか」など、考えることは多岐にわたるわけです。
ですのでこういう記事に書いていることは、あくまでも考えの指標の一つにすぎず、作品に向かうときは必ず思いこみではなくて作品自体を丁寧に見てあげる必要性があることを重々ご理解いただけるとありがたく思います。
というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
コメント