教員に反対された卒論のテーマって、選択できないの?

修復を学ぶ

ここしばらく「卒論関係」の記事を書いております。通常当ブログを読んでいるわけではなく、たまたまこの記事に出会ったという方は、もしかしたら「やりたいテーマがあるのに、教員がダメっていっている」のかもしれないですね。

もし先生が「このテーマはだめ」と止めている理由が「テーマの難易度と学生さんの力量が合っていない」以外であるのなら、あるあるなのは「それは論文にはならない」という場合でしょうか。

例えば、

①あまりに当たり前な話すぎて、論文にするほどのネタではない

②すでに色々議論されてきたテーマなため、新規性がない

③研究計画書に鑑み、現実的に研究自体が実現不可能である

といったところでしょうか。いずれにしても、「勉強しないままテーマを持ってきたな…」という印象があったりしますが(汗)。

なんとなくではあるのですが、上記①や②のようなネタをしたがる学生さんの場合、怖がりなのかなーと思うことが多かったです。卒業研究って、未開の地への一人旅みたいなものだと思うのですが、今まで小学校からずっと先生が引率していたバスツアーみたいな勉強しかしてこなったのに、いきなり一人旅をしろって!ってことで、怖いから過去の誰かの旅をパクっているようなネタを持ってきているような印象です。

でも教員としては、学生さんに「卒論提出して卒業できる」ということだけじゃなく、「達成感」や「成長」という喜びを味わってほしく思っています。誰かの道筋をたどるだけというのは卒業研究ではありません。旅行に例えた場合、ほんのわずかでも未開の場所に自分で行くことが卒業研究なんですね。そういう卒業研究の案件を満たしていないテーマに対して、許可ってできないんですよ。

ただ、先生のタイプや、学科や専攻の「学生さんに卒論を通して何を学んでほしいのか」という指針、学生さん自身の本気度(適正な研究計画書の提出必須)などによっては、「そこまでいうなら…」となる可能性もあると思います。

実際ブログ主が担当した学生2人の研究テーマに関し、研究初期段階で他ゼミの先生から「こんなテーマでGoサイン出しちゃって、論文なんかにならないよ」と言われことがあります(^^;)。さらに言えば、そのうち一人の卒論ではそれでも学科内の準優勝を頂きましたし、もう一人は賞こそは頂きませんでしたが、よい評価がされました。ですので「先生が反対したテーマが必ずしもモノにならないか」というとNoだと思う反面、一般的には先生の見立てというのは正しいもので、「論文として成り立たない」と言われたものが「よくやった!」になるには、ひとえに一年通しての本人の頑張りがあってだと思います。

上記でもお分かりいただけるとおり、同じテーマでもGoサインを出す先生もいれば、却下する先生もいますし、場合によっては「こんなテーマはダメだ」と言われたテーマで最終的に上位成績をとることが不可能なわけではありません。

それが可能になるのは、担当教員はじめご協力いただく諸先生と密にコミュニケーションが取れることや、指導する方のアドバイスや注意を素直にきけること(ただ話を聞いているというのではなく、実行できる、ということね)、なによりも学生自身が本気のやる気を持っていることなどによって初めて可能になるのではないかと思います。(なお、この記事で対象にしているのは「卒論」であって、「修論」以降は「論文にならない」と言われたものは、その通りであると考えたほうがよいですね ^^;)。

他ゼミの先生に「無意味」と言われたテーマが、なぜ最終的に「論文」として認められたか

卒論において、「魅力的なテーマ」「価値あるテーマ」「賢くみえそうなテーマ」とか、「他者評価」目線でテーマをさがすと危ういという話は過去の記事で書いております。だからこそ、「素直に自分にやりたいテーマ」のほうがいい、と。

しかし「やりたいテーマ」を考えたら、「教員に却下された」って、どうすりゃいいのよとなりますよね(苦笑)。

勿論先生のタイプとして絶対的に無理なタイプもあれば、考えたテーマが何がどうでもダメな場合もあるので、絶対的な話ではありませんが、学生さん自身が「ほんのちょっともテーマの内容を変えない!」と頑なじゃない状態であれば、やりたいことのいくらかを通すことは可能な「場合も」ある、という話をしたく思います。

ただこの項目では、そもそも論として担当教員(私)がOKを出して、他ゼミ教員が「無意味」としているパターンで、結果「評価がよかった」という例を元にしています。担当教員がテーマとしてOKしているので、当然研究のスタートは切れる。でも、最終的に卒論発表の際などに「学生が安心できる状態にもっていく」ために、他ゼミの先生から「やる意味なし」とされている評価を覆す必要がありました。

こういう「このテーマで大丈夫なのかな」と思われるテーマであっても、ブログ主が担当教員としてOKを出した理由の第一に来るのは「どんな状況でも最後まで頑張るだろうし、高い頻度で話し合いができるだろう」という未来が見える学生だったから、というのがあります。卒論なんだから学生本人が必死で頑張るのが当然っちゃ当然ですが、研究の行き詰まりや慣れない執筆という不安な中で、「教員と学生、相互に信頼しあえるか」という部分って大事だからです。

二つ目に大事なことは、必ず「新規性」を入れること。当記事の最初に「論文にならない」と却下される理由に、「①当たり前内容」や「②新規性のなさ」を書きましたが、逆をいえば「新規性」が含まれれば問題ない、ということが言えます(ただ、この「新規性」を考えるために、学生さん自身が前準備としての十分な知識がないとダメ、ということも言えます。汗)。

三つ目に大事なことは、「その論文、無意味」という先生の話をよくよく聞く、ということです。耳が痛いですよねー。嫌ですよねー(^^;)。特にこの項目の場合担当教員(私)からは肯定されていますが、それでも円満な卒論発表や万が一のことに備え、他の教員から「無意味」と言われないよう対策を立てました(苦笑)。「何がダメ」なのかが分かれば、ものごとを細分化して考えてニッチな点で話を進められるかもしれませんし、アプローチを変えたり、持たせる新規性を考慮できたりできます。「反対する人」の意見は、論文をブラッシュアップするために役立ちます。「すでにこれだけやられているよ」とおっしゃられるならば、「可能なら、文献をいくつかお教え願えますか?」とお願いしてみるとよいです。運がよければ文献情報も得られます(^^;)。

四つ目に、担当教員(テーマを肯定している教員)以外に、論文テーマの内容に関わる専門の先生などにアプローチしてみること(担当教員以外の先生にご相談する際は、前もって担当教員にその旨「報連相」しておきましょう)。論文テーマの可否自体もそうですが、論文への視点を変えたり、アプローチを考える上で、いろんな専門の方の意見を伺うことは非常に貴重です。学生だからこそ、同じ大学内の先生、あるいは他大学や研究機関の先生などが親身に相談に乗ってくれることは多いと思います。

以上4つではありますが、そもそもに担当教員との信頼関係が築けているっていうのが結構重要な反面、卒業研究だからって急にそれが築けるわけではないものなので、普段のゼミ内での関係性自体が結構大事だったりするかなと思いもしますね。

本日のまとめ的なもの

あくまでも先生次第、専攻次第の部分はありますが、必ずしも教員がいったん却下するようなテーマを、絶対やめなきゃいけないわけではないとは個人的に思います。

とはいえ教員が却下するテーマというのは、大人の意見としては「やめたほうが正解」なわけですので、「やめといたほうがいいけどなぁ。まぁ、でもなぁ」となるには最低限の条件があると考えるのが正しいと思います。

すなわち、「テーマと学生の実力が合っていること(実現不可能ではないこと)」、「学生本人がやる気があって頑張れる子であること(そういう信頼関係にあること)」、「相互理解のためのコミュニケーションが取れること」です。この段階で、信頼できる「研究計画書」が提出できることも重要ですね。

ただ同時に、教員が学生さんのテーマを却下しているのは意地悪だからじゃない、というのも繰り返し、ご理解いただけるといいなぁと思います。あとで学生さんが苦しむのが目に見えるのに、「いいよいいよ、やれやれ」というのが優しさなのか、1年なり半年なりの間少しでも不安の少ないテーマを与えようとするのが優しさなのか、優しさというのはなかなかややこしいなと思います。教員は敵ではないことだけ、忘れずにいてほしく思います。

ですのでテーマがOKされた時だけじゃなく、却下された時は特に「なぜ」を理解するためによくよく会話をしてみることを本気でお勧めします。

というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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