先の記事にて「向き不向きより大事なこと」について書かせていただきました。
でもまだ学んだこともない学問に対して、自分が一生懸命努力できるかどうかなんてわからないよ…と思われるかもしれません。
ということで、先のことを考えるのではなく、逆に自らの過去を振り返ってみましょう。
今までの人生で、一生懸命頑張った経験を振り返ろう
実は、新卒の就職活動(一般企業)などの面接で訊かれる質問として 「大学生活の中で、何に熱意をもって取り組みましたか?」みたいなものがあります。 これと同じことを自分に問いかけると、結構自分自身が見えてきます。
なんていうのかしら、能動的にある種のことを頑張っていると、 必ずなにか乗り越えなくてはならない問題というのがでてくるように思います。
例えば楽器やスポーツの習熟なんかがそう、あるいはクラブやサークルなどの 団体の部長とかになると、人間関係のいざこざや、あるいはクラブなどの 方向性に関する意見の食い違いみたいなものをまとめる問題があったりします。
こういった問題がでてきたときに、どう乗り越えたのか、 あるいは諦めた(スルーした、他人に尻ぬぐいしてもらった、 逆に問題行動を起こしていた)かを考えてみましょう。
こういう問題に対し、能動的に対処できる人は、 「問題解決に対し、努力できるかもしれない」「問題が起きてもあきらめないかもしれない」と 自分自身を誇られるとよいのかもしれません。
あるいは、別段そんなドラマチックに問題解決の経験がなくてもいいのです。
例えば、10年お習字を続けているとか、 長くある種のボランティアを続けているとか、 週末に家族のお昼ごはんづくりを高校に入ってからずっとやっているとか、 学費のたしになるように、ずっとどこどこでバイトをしてお金を貯めていたとか、 個人的に昆虫に興味があって、今まで日本語英語に関わらずいろんな本や学会誌を 読んでいて、自分でも虫取りしていて、結構なことを知っている、みたいな。
こういう人は「コツコツ頑張れるんだな」とか 「好きなことは続けれそうだな」という印象がありますよね。
「虫好き」を例にあげたのは、「ただ好き」だと意味がなくて、 「愛するものをよく知るために、いろいろ調べたり、机上の空論ではなく 自分でも虫取りしてる」っていう実質的な努力が伴っていることが大事ね。
だって、「虫が好き」って、それだけだと就学前のお子さんとそう変わらないですからね。
自分の経験を細分化する
上記のような「能動的に頑張った!」とか「コツコツやってきた!」とか 「好きなものには情熱を燃やせる!」というのがない、という クールな方も、特に最近の風潮なんですかね~、結構見受けます。
じゃあそういう方はどう自分自身を考えればよいかというと。 大学で教員をしていた時の入試の面接で 「絵を描くのが好き」という学生さんは沢山いたのですが、 「基本、落書きが好き」という雰囲気であることもありました。
「落書きをコツコツ頑張った」というのは、自分自身「?」ですし、 それを他人に伝えたところで、やはり「?」という感じになりますよね。
なので、細分化して考えます。
例えばその落書きをPCやタブレット上で実施している場合、 当初はうまくいかなったこと、操作がわからなくて困ったこと、 それをどうやって克服したか、頑張ったか、みたいなことは思い出せますよね。
そういう過去の努力、努力の結果の作品、そして今後さらに落書きをよりよく あるいは自由にできるようにどういうことをやりたいかということが 考えられると、「自分も他人も納得の頑張った落書き」ということになります。
あるいはこれは私自身が子供のころの話ですが、 某ギャグ漫画で、絵の上手な主人公が本物そっくりのケーキを描いて、 絵を口に入れてしまうというシーンを見て、いかにケーキを本物らしく描けるかというのを、 一時期なぜか紙にボールペン(黒)で一生懸命頑張ったことがあります(笑)。
もちろんうまくいきませんでしたが(涙)。
子供らしい、ばからしい行動ですし、さらにはうまくいっていない「一生懸命話」ですが、 そういう小さなばからしい「一生懸命」でも、自分自身のことなのだから、 自分自身がバカにせず、大切に思い出してもらえるといいなと思うのです。
なんていうんでしょう。 「自分自身が頑張った経験」を単に履歴書的に「読書」とか「音楽鑑賞」とかで留めちゃうと、 なにか薄っぺらいといいますか、自分自身でも「本当に自分は頑張ったんだっけ…?」と 疑いがでるような感じになっちゃいます。
そうじゃなくて、深く深く、自分自身が何に対してどんな風にどれくらいの時間をかけて…みたいに
「過去に(あるいは現在進行形で)自分が頑張ってきたこと」を思い出してみましょう。
そうすることで、自分自身がよりわかると思いますし、 すっかり忘れていた「頑張った経験」を思い出せた場合は、 幸いなるかな、それが自信につながるのだと思うのです。
今から何かを頑張ってみる
ここまで読んで、それでも「今までの人生、のんべんだらりとやってきました」という方が いるとして、さらにこの記事を読む理由が「保存修復に関する大学受験に向けて」であるならば、 ですけど、今から何かを頑張ってみましょう。
その上で「受験限定」でいえば、保存修復業界を「イメージ」ではなく 「業界の実態」として知るために、修復関係の本、報告書、紀要を読みましょう。 こんなブログではなく(苦笑)。
「この大学で、この学科で学びたく、また、この学科への理解を 深めるために、これこれこういう本(最低3冊)を読んだ」というのは一つの努力ですよね。
さらにいうと「ただ読む」のではなく、「理解すること」、 仮に誰かに本の内容を質問されても回答できるだけ読み込むことが大事です。
実際、修復関係の本って、高校生あるいは大学生くらいだと理解に至るの、 結構難しいんですよ。
日本語としては理解するんだけど、実際他人に内容を質問されると回答できない。
ですので、それが「他人の質問に対して回答できるほど読み込む」というのは、 「理解できない部分がわかるように、事典や他の本などを調べる」ということが ついてくるわけです。
だから、先ほど「最低3冊読む」こととありますが、実際の理解に至るには 3冊では到底済まないよ、というのが実際になると思います(汗)。
今の高校生、大学生は「調べもの」というとネットと使いがちですが、 ネット情報は、当ブログも含め、適正性に欠けるので、実際レポートや論文では 推奨されていません。
ですので、そういうネットで調べものしがちな方たちが、ちゃんと 各種専門本で調べものもした、というのは「努力」ですし、 他者(専門の人)からしても「評価できる」行いだと思います。
本日のまとめ
ここまで読まれると、一生懸命頑張った経験って、大小の違いはあれども 誰にでもあるってことに気付けるかなと思っています。
あるいはここまでの間にそういう経験が実はないとしても、 これからどれだけだって持てると思います。
保存修復について学ぶ際は、学科においては 理系文系両方でてきますし(特に近年理系教科は必須ですので) これにさらに実技もついてくるので、オールマイティに物事ができなくちゃ困ります。
しかし実際そんな器用な人間、いません。
誰でもなにかしらを苦手とするので、必ず学校で学ぶ間、 あるいは卒業修了後の研修期間などの間、その苦手とずっと向き合うことになります。
なので、これまでの経験上「逃げた」経験しかない方の場合、もしかしたら学校生活は辛いかも…と。
でも「過去に困ったことがあっても頑張った自分」を思い出せると、苦難があっても頑張れるので、「困ったことがあっても、自分は頑張れるかな」ということを 考える場合に、こういうことを考えてもらえるとよいなと思います。
大変長くなりましたが、最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
コメント