紙ってどんな素材⑧?:製造段階での耐久性の違い3/4

修復を学ぶ

ここしばらく(主に)紙に関するお話をしております。

「シリーズ」によっては、どこから読んでも…というものもありますが、このシリーズは専門用語といいますか、理解しておかなくてはならない部分がそれぞれの記事にてありまして、その理解がないともしかしたらわかりにくいかも…と思いつつおります。ですので、可能であればシリーズの最初の記事よりお読みいただけるとありがたいです。

なお最初の記事においては紙の主要素となるセルロースに関して。2つめの記事ではそのセルロースに次いで紙を構成する2つの要素に関して。さらに3つ目の記事においては、具体的に紙の素材となる植物に関して簡略かつ代表的なものに限りますが記載しました。加えて4つ目の記事においては、これら先の3つの記事を踏まえ、いくつかの植物に含まれる構成要素の利率について説明。そして5つ目の記事では4つ目の記事の内容をもう少し詳しめにお話しております。これらに対し6つ目7つ目の記事においては、4つ目5つ目の記事で書いた事象以外の、紙の耐久性が失われる理由を説明しています。

当記事は直近の記事(7つ目の記事)の説明の続きとなります。よろしくお願いします。

紙の劣化現象はどうして起こる?③

3つ目4つ目の記事を踏まえ、さらに6つ目の記事や直近の記事にて、「リグニン」の困った部分や、そのほかの紙を脆弱化させる「有機酸が発生する条件」を提示しました。

直近の記事では紙を製造する工程の中で素材によっては「裁断(カット)」という、「紙にするには長すぎる繊維」などを切断する必要があることや、そもそも木綿(コットン)紙の素材としては、かつては「木綿(コットン)のぼろ」を使用していたこと、そしてそれを使用した際に「有機酸が発生する」可能性について説明しました。

これに加えさらに「有機酸が発生しやすくな」りそうなことを考えてみようと思います。

例えば一般的に木綿(コットン)というのは白い、という印象がありますが、もしそれが「ぼろ」であれば(ぼろの定義は過去記事をご覧ください。汗)「シミ」や「よごれ」がついているものではないでしょうか。少なくとも布になったばかりのきれいな白を保っているとは考えにくい。こういうものを紙の素材にする場合、特に「白い紙」が欲しい場合はどうするか。「漂白」です。現代だと「漂白」というと化学的な素材を用いそうなものですね。例えば家庭内の身近な漂白剤だと「ブリーチ」というものがあります。そういうものの原料として何でできているのかを見てみてください。しかし18世紀くらいまでの西洋世界ではそういう化学薬品的なものは漂白に使用していはいなかったようです。

ちなみに18世紀までほどの西洋世界の紙製造においては、「pourrisage」という工程が入るのですが、これは日本語訳すると「ぼろの水づけ」や「ぼろ浸漬(しんし)」となるようです(あまり日常生活に使用する言葉ではないので、専門用語といっていいのかもです)。

具体的にはどういうことをするかといいますと、人為的なものであれば「Fermentation 12 semaines」つまり「12週間発酵させる」という方法を用い、自然的なものであれば「自然漂白」を行うとされています。ちなみに「pourrisage(名詞)」の動詞は「pourrir」で「腐る」や「腐敗する」あるいは「悪化する」です。

ただ、正直本当に「腐敗させているのかな?」と疑問もあります。ただ、お水につけているだけではないのかと(なんせ現場とかを見ていないですから)。でも、お水の取り換えをせず、12週間植物の繊維を漬けっぱなしとかにしていれば、特に夏場なんかは腐敗しちゃいますよね…。

その上で話を最初のほう(このシリーズの最初の記事)に戻すのですが、そもそも紙を構成する根本はなにか、というと、主要要素はセルロースであり、そのセルロースはグルコース(ブドウ糖)からなると説明しました。その名の通り「糖」からなり、菌類のおいしいごはんといえます。そう考えると、紙の素材は「菌」が嫌うものからできていないんだよねぇとも思うんですよ。それがお水にずっとつけっぱなしでふよふよしていたら、菌も寄ってきやすくもなりますよね。

こう考えると、コットンからなる紙の繊維は、そもそものポテンシャルはよくても、製造工程を経て沢山傷がつけられているかもしれません。とはいえ、これらはブログ主が留学先で学んだことや、文字になっているものを読んだだけの話で、実際のそういう現場に行って観た話ではありません。文字上から推察すると、こういう傾向があるのではないかという話です。

とはいえ、3つの記事で説明したものだけでも、「そもそも素材の繊維が傷んでいる」「繊維をカットしている(原型のままではない)」「繊維を傷める素材で漂白」などの行程を経て、繊維が「原型のまま、傷がすくないまま」という状態ではないかも…ということが推察されることでしょう(勿論時代によって使っている素材や工程なども違う可能性がありますし、特に短繊維を使っている場合などは上記のような肯定は経ない可能性もありますので、すべての木綿紙がそうだとかそういう話ではない、ということはご理解ください)。

ただよく「和紙は繊維が長いから、耐久性がよいのです」という言葉の「why」の部分の説明として、勿論、「繊維自体が長いほど、よくお互いの繊維が絡んで離れにくくなり、繊維が短いほど繊維が絡まず離れにくいから」とは説明がつく反面、「繊維が長すぎても紙にはならない」ことや、「丈夫さ」に関してはいろんな要素が絡み合った複合的な理由があることを理解することが大事だと思っています。

本日のまとめ的なものとして

文化財保存修復に限らず、また別にこういう職業だからとか、専門だからとかそういうものに限らず、「何かの理由」ってそう単純なものじゃないと思うんですよね。そんなに世の中が単純であれば、警察も弁護士も裁判もいらないですから。

人だって多面体で、本人が思う自分と、親が見る自分、子供が見る自分、同僚が見る自分、上司が見る自分、部下が見る自分、親しい友達が見る自分、友達とは言い難い知り合いが見る自分、伴侶が見る自分…って全然違うと思うんです。

だからこそですけど、「一面だけ」を見て「知った気になる」というのは怖いところで。この記事でコットンに関して説明していることも、部分的な話ですので、紙の専門家の方から「こんなことだけで紙を語るな」と怒られそうだなと思いつつおります(苦笑)。

あくまでもこういう記事をきっかけに、文化財というものに興味をもってもらえたらとか、色々自分で調べてもらえたらというのがブログ主の願いです。

というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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