先のシリーズにて、ギリシャ美術から印象派くらいまでの簡単な美術史の変遷についてお話しました。
ギリシャ美術やローマ美術だと、そう多くは絵画が残っていない反面、彫刻表現がすごかったり、あるいはゴシック・ロマネスクなんかは建築中心の美術だったりして、絵画の印象がなんだか少ないかもしれないですね。
そういう中で、では「いつから油絵」って描かれるようになったのだろう?ってことなどを考えたりしませんか?
実際油絵を描いたことがある方がいるとわかるのですが、初めて油絵を使ったとき、「なんて描きにくい素材だろう」と思ったと推察します。
大概油絵を使うまでに使うものは、クレヨン、クーピー、色鉛筆、チョーク、鉛筆、マジック、ペン、水彩、ポスターカラー、アクリル絵の具みたいなものではないかと思います。
上記の中には、クレヨンや鉛筆などにように「乾燥」という工程を必要としないものもあれば、水彩やポスターカラー、アクリル絵の具のように、比較的「速乾」の素材もあります(水分が蒸発すると上から描ける)。
しかし油絵具というのはこの2つのどちらでもなく、最初に油絵具で描画すると「いつまでもべたべたして、上から色を重ねられない(涙)」という心境になる素材なはずです(これ、不思議と慣れるとちゃんと上から重ねることができるのですが。慣れないうちはなんだかうまくいかないんですよね。苦笑)。
だからこそですが、「なぜこんな使いにくい素材を描画素材として使ったのだろう?」という疑問がわき上がります(とはいえ、油彩の技法が完成する以前に、フレスコというややしい壁画技法が成り立っているのも、なんでこんなややこしい方法を実施するようになったのか疑問ではあります…)。
とはいえ、西洋絵画といえばやはり「油彩画」と考えるのが一般的なんじゃないでしょうか。というわけで、本日から少々油彩画の発展についてお話していこうかと思います。
油絵の発展の概要:各種古典技法書や文献から
油絵がいつ、どこで、誰によって生まれたのかは明確ではありません。
1世紀の初めごろ、ローマ人プリニウスが著した「博物誌」の中には、ギリシャの画家アペレスに関したエピソードとして、この画家が、絵画作品完成時に、画面の艶出しとして、黒っぽいニスをごく薄く塗付したと書かれています。このニスを「融解した樹脂」とするのが通説ですが、詳細は明らかではありません。
また油を絵画に用いて光沢を出すことは、古代末期にはすでに知られていたようです。しかし、油のその乾燥が遅さから(我々現代人が初めて油絵具に相対した際などに思う面倒な部分を昔の人も「ちっ」と思っていたんですね。苦笑)、多くの錬金術師がその乾燥速度の改良に力を注ぎました。10世紀前後頃の記録からはすでに、油に鉛を加えて加熱したり、油の中の不純物を取り除く初歩的な方法が見られます。しかし当時の作例で、本当の油絵といえるものはないようです。
例えば12世紀ベネディクト派のドイツ修道士のテオフィルスは、ヨーロッパ各国の様々なアトリエを訪問しすることで、絵画に限らない当時の美術技術に関する文献である「諸芸提要」を残しています。
また、ローマの画家であるエラクリウスによる『画論』の中に、絵の具の練り合わせのための樹脂を含んだ油の製法を記述がありますが、それの使用方法の詳細はありません。
これらの技法書の中でもおそらく最も有名なのは、14世紀イタリアの画家であるチェンニーノ・チェンニーニによる絵画の技法書、「絵画術の書」と考えます。チェンニーニの時代には、絵を描く際に「職人の技」が最も重んじられていました。ですので、チェンニーニは、「絵画術の書」の中に「画家が知っておくべき」と考えた重要な事柄、例えば絵画の解釈、様式、技法にわたり、主にイタリア画家のジョット以来の絵画の伝統、いわゆるテンペラでの描き方の重要性を述べています。ちなみにチェンニーニ自身も画家であったといわれていますが、その確証となる作品は1点もありません。
こうした古の技法書を紐解いても、油絵の始まりなどに関しては、詳細には言明しにくいのが現状です。
油絵を「始めた人」と「技法を完成させた人」は違う
このように油絵がいつ、どこで、誰によってはじめられたのかは不明ではありますが、その反面、油絵の技法を完成させた人物、油彩画の材料選択や描画技術、造形表現を改良・完成させた人物は初期フランドル派のファン・エイク兄弟といわれています。フランドルを含むアルプス以北地域では古代ギリシャ・ローマのような美術経験がないため、美術としては独自での発達を要しました。
ファン・エイク兄弟らに代表される北方ベルギー絵画はフランドル絵画と呼ばれますが、フランドル絵画の起源は、細密画で彩られた祈祷書の写本の中にあるといわれています。
本日のまとめ的なもの
過去に何度か書いておりますが、現代の油絵具と、ファンエイク兄弟時代の油絵具は構成素材やテクスチャーが全く異なると考えられます。現代の油絵具は、「市販」の形態をとるようになって以降、より「油絵具の不便さ」をなんとかしようと改良されたものだからです(一応改良という言い方をしていますが、絵具のクオリティがファンエイク兄弟時代より上か否かというようなことはできません)。そもそもに油絵具が市販されるまでは、油絵具は日本画の絵具と同じに、「自分で練るべきもの」だったからです。
「自分で練るべきもの」だからこそ、「一般論としてこういう素材で絵具を作っていただろう」と推定がなされる反面、実際の個々の画家がどのように絵具を練っていたかなどについては科学的調査を実施しないと詳細としてはわからないことが多くかったりします(基本となる顔料と結合剤は同じでも、副材や添加物として何を入れているのか不明、という意味です)。
反面、市販の絵具は「製造販売会社」がそのレシピを一般公開しないため、やはりどういう素材をどういう割合で使っているのかは科学的調査をしない限りはわからないことが多いです(商業的な意味合い以外でも、市販の絵具の場合、一つの名称の絵具に対し、均一の色彩の絵具を提供する必要もあることから、「顔料」自体も混合していたりするのでは?とも考えます)。
加えて、そういう市販の絵具なり自作の絵具を、画家自身がどう使ったか(油を抜いたりしたかとか、ほかに何を添加して描画したかなど)なども関わってきます。
というわけで結局なぞが多いんですよね、絵具というのは。油絵に限ったことではありませんが(苦笑)。
ただ、本当に描く上でも、お片付けをする上でも面倒なことが多い油絵が、どのような経過で現代ほどに「西洋絵画といえば油絵」となっていくのかを見ていくのは、西洋絵画保存修復を学ぶ上では重要かなぁと思っているんですね。
というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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