先の記事にて、文化財(絵画)の保存修復の実際的な処置の前には「作品理解」「損傷発生原因の理解」そして「先の2つに基づいた修復計画の作成」の必要があるとお話しました。加えて、最終的に実施する「修復計画」において、「修復する」「なんらかの処置をする」のであれば「作品の要する、作品に適した処置」である上、「作品にとり負担の少ない処置」の選択が重要であるというお話をしました。
前回の記事の続きにあたる「作品にとり負担の少ない処置」の必要性についてもう少々お話しますので、お付き合いいただけたらと思います。
あらゆる「処置」には「負担」が付きまとう:医療に置き換えて考えてみる
例えばですが、生き物の損傷への処置、いわゆる医療的処置などにおいても負担は付きまといます。
例えば手術に関しては、損傷部位にメスを入れるので出血もありますし、そもそも体にメスを入れるということで非常に身体にとっては体力が奪われる行為に当たります。実際手術前に「手術に失敗しても文句を言いません」みたいな同意書を書かされもしますので、「生きるか死ぬか」のような負担がかかることがわかりやすい処置であると思います。
それに対して投薬や塗り薬といった処置はどうか。
薬は副作用がでる場合や、他で問題がでることがあります。
例えばよくあるのが、「本命の薬と一緒に胃薬が投与される」「本命の薬と一緒に鎮痛剤が投与される」など、「本命の薬」が与える負担を軽減する薬がセットになってやっと作用することって多かったりしますよね。
ですので、本来「本命の薬」によって「胃痛」が発生しているはずではあるのですが、他の薬でごまかしているだけといいますか。だから、本人が「痛み」などの苦しみの症状を感じないからいいじゃないと思いますが、薬は内臓などにも負担がかかりますので、「痛みがないから負担がない」とは言い難い部分があります。
あるいは、薬は長期使用すると体が慣れてきてしまうので、段々効果の強いものが必要になったりします。そうするとさらに体に負担がかかるという、困ったスパイラルがでてくる。
だからこそですが、医療の治療というのは、「患者さんが耐えられる」処置こそ実施できるというシステムです。
手術に耐えられる体力のない患者に手術をして逆に命を落とされたり、治療で悪化されたりしたら困りますからね。
だから、あらゆる年齢あらゆる体質の方に、いつもいつも同じような治療を施しているわけではないはずです。
例えば高齢者や乳児などは体力もないでしょうから、一般成人(特に20代)なんかと同じに扱えないはずなのです。
このように、医療などでも患者さんを十把一絡げには見ず、患者さんに毎に負担の少ない方法を選択しているはずなんですね。
生体に対する医療と、文化財保存修復の違い:生き物はある程度「自分で自分の傷を癒すこと」ができるが物体はそうではない
上記までは医療も文化財も同じ部分ですが、ここから少しお話するのは生き物と物体の大きな違いです。
すなわち、生き物には「自己治癒能力」があります。
小さいお子様なんかはよく転んじゃいますが、それでできてしまった擦り傷なんかは一生治らないわけではなく、若いほど早くかさぶたになって治ります。
あるいは逆に大人になると、体調不良の原因が、ストレスや睡眠不足、疲れだったりします。
手術後などだけでなく、日常の金属疲労のような形で大きく体力を削られると、その回復が求められます。
しかし生き物は物体とは異なり、部位によってはケガの回復を行うことができる上、「体を休める(場合によっては心を休める)」ことで体力などを回復することができます。
だからこそですが、(あくまでも体力的に大丈夫な方に限り)体にメスを入れるという、非常にリスクの高い処置もできます。
というのは、大きな負担を与えても「回復」が見込まれるからできることです。
お腹にメスを入れたら、その後の生涯ずっとお腹に穴が開いているわけではなく、また、手術後の体力の激減も、入院という休養によって補うことができ、手術前のように活動できるようになる場合があります。
こういうのは、「生き物」は自分で自分の傷を治す力があるからこそできることです。
これに対して物体は一度損傷すれば、自己治癒はしません。
壊れた冷蔵庫が、次の日の朝には直っていた!ということがあれば、世の中の人々が涙を流して喜ぶことでしょう。でも、そんなことは起こらないのです。
ただ冷蔵庫の場合は、壊れた箇所の部品が存在すれば修理はできるかもしれません。
では文化財(絵画)はどうでしょうか。
修復家が処置しても、文化財の損傷は「なかったこと」「損傷発生前の状態にすること」にはできない:文化財の保存修復処置は、「魔法」ではない
文化財のような物体が損傷した場合を考えてみましょう。
たとえば布の上に書かれた油絵ではなく、紙の上に描かれた絵画を想定しますが、これに対してはさみを入れた場合、たとえ修復家が行う処置によっても、完治はしません。
この場合の「完治」というのは、「はさみを入れる前の状態」にすることにはできないという意味の完治です。
勿論、修復家による処置によって、はさみで真っ二つに切られた作品を、鑑賞を妨げないよう、問題なく展示できるよう作品を補助・補強し、かりそめにはさみを入れられた箇所に問題がないように見せるようにはできます。
でもそれは、人間が転んでできた擦り傷が「跡形もなく治る」ような完治とは違います。
頭で考えるのではわかりにくい場合、実際に皆さんの周りの、印刷用紙でも新聞紙でも、はさみで切ってみてください。
それを、「切る前の状態」に戻せますか?そんなことができる人間なんていません。
マジシャンの場合はタネがあり、修復家の場合は裏打ちやかけはぎ作業が必要でしょう。
でも、それらは「紙にはさみを入れる前」の、全く傷ひとつない頃に戻すという動きをしているわけではありません。
そんなことをするには、ドラえもんにでてくる「タイムふろしき」が必要です。
そういう意味で、我々の処置の場合には「完治」はありません。
なにが言いたいかといいますと、文化財の保存修復処置というのは、「傷が発生する前の状態に戻す」ような「魔法」ではないということです。
本日のまとめ
医療を例にするとお分かりいただけやすいかと思いますが、同じ病気でも、対象の患者さんの状態によって、全く同じ処置や、同じ容量の薬を渡す、なんてことはありません。処置におけるリスクを考え、患者さんが処置のリスクに耐えられなければ意味がないからです。
その上で医療の場合、患者さんに対して多少のリスクを冒しても、患者さんの自己治癒能力のおかげでそのリスクをカバーすることができますし、また、その患者さんの「自己治癒能力」のおかげで、脚の骨折に対して適正な処置を施せば、骨はつながり、場合によってはリハビリなんかもして、きちんと歩ける状態に戻すことができるでしょう。そういう意味で、多少リスキーなことを実施することができるように(素人目には)見えます。
それを文化財に置き換えると、折れた脚に対する補強を施し、体を支えるに十分な杖などをお渡しすることはできるし、その補強などによって歩くことも場合によっては可能にできます。しかし、本来の骨折自体を「なかったこと」にはできず、ずっと補強や杖を要することになる、という感じです。
私たちがもし、作品に医療でいう「メスを入れる」ようなことをすれば、作品にはずっと「メスの跡」がついたままとなり、それは永遠と残ります。「処置だから、リスクが冒せる」なんてことはありません。
生き物と物体を扱う上での違いはこういうところででてきます。
命を扱う場合は、その「命」を落とすという大きすぎる責任を持つ反面、それでも患者自身の治る力を信じることができますが、物を扱う場合は「命」はもともとない反面、物体自身の「自己治癒能力」に任せることもできません。
なかなかややこしいですね…。
というところで、すでに結構長々書いている割には、本日の記事だけでは「作品にとり負担のなり処置を選ぶ」ということまでたどり着けていないので、ちょっと誤解のある感じだったらすいません。
次の記事にて、続きをかきますので、是非ご覧いただけたら幸いです。
本日も最後までご覧くださり、ありがとうございます。
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