直近の記事にて、作品調査の方法の一つ、「光学調査」の中でも、「マクロ写真」について少々お話しました。
本日は「光学調査」のお話の続きで、「ミクロ写真」についてお話します。
ミクロ写真ってどんなもの?
先の記事が「マクロ写真」、今回は「ミクロ写真」とカタカナばかりでなんのこっちゃですね(^^;)。
「マクロ写真」は本来の被写体よりも大きく撮影する方法でしたね。では「ミクロ写真」はといいますと、簡単に言えば「顕微鏡写真」です。
実際の被写体のサイズより大きく写る、という意味では「マクロ写真」と変わらないですが、一つ大きく違うことを言えば、一般的に「光学写真」は「非破壊調査」であることが多いのですが、この「ミクロ写真」は作品からサンプルを採取しての調査になることが多いということです。
「ミクロ写真」からわかることは非常に多いです。しかし、その代償として作品からサンプルを採取する必要がある、という他の調査と比較するとハードルの高い調査となります。なぜならば、我々保存修復関係者は、「作品のオリジナルには手は出せない」ということが通常前提として存在しているため、「その上でそれを実施せざるを得ない《理由》あるいは《目的》」が必須だからです。
ブログ主が大学勤務だった際、大学には色々な調査機器が存在したために、よく学生さんが「とにかく機械にかければ、なにかがわかるだろう」と機械にかけようとしていましたが、「目的が明確ではない調査」ほど、労力ばかりで実のないものはありません。それは調査する人間にとってもですが、調査される作品にとっても、です。
例えばちょっとややこしい健康状態の時にお医者さんに行って、色々検査をされたときについつい「こんなにいっぱい検査ばっかりして、本当は不必要な検査をして、お金だけ搾り取りたいのではないのか?」と思いませんか?実際検査にはお金と時間と患者さんの体力的な負担というものがかかります。それだけの「リスク」がある上でそれを実施するのは、「それが病気の同定あるいは、病気の原因究明に必須だから」です。もっと違う言い方をすれば、「目視や触診でおそらく●●という病気だと推察する。その確認のためには、この機材で調査すれば××という症状がみられるはず」という推察に基づいた検査を病院はしているはずなんですね。
これは文化財の保存修復においても同様で、特に西洋の場合、国際機関であっても、「この検査って日本では当たり前にする検査だが?」というものであっても、書類に「明確な調査理由とその調査をして得られると考えられる結論」などを書いて、承認されてやっと実施が可能になります(なので、承認されなければ実施できないということです)。検査には、お金と時間と作品への負担がかかるという前提であれば、当然のことです。
「非破壊」の調査であってもそうなのですから、いはんや「破壊的」な調査をやで。
「破壊的調査」を実施する以前に、あらゆる「非破壊調査」を実施した上で、「回答としてはこうなるだろう」の予測がついていることって、結構大事だったりします。でもだからこそ、いかなる作品にも実施しているわけではないですし、「よほどの理由があって」実施されると考えるとよいかと思います。
顕微鏡写真を使う調査の例:クロスセクション(stratigraphie)
絵画保存修復において、最も身近と推察される「ミクロ写真」は、「クロスセクション(stratigraphie)」かと考えます。
「クロスセクション(cross-section)」は英語、「stratigraphie」は仏語でどちらも同じ意味になります。ちなみに「cross-section」をジーニアス英和辞典で引きますと、「~を横に切る、~の断面図を作る」という意味が出てきます。そして、まさにこの「クロスセクション」という調査方法もこのジーニアス英和辞典と同じことを指すのです。
「クロスセクション」は、調査対象の作品から、1mm四方(あるいはそれよりも小さな)試料を採取して、それを樹脂包埋し、さらに採取試料の断面(下地層から絵画層の重なりが見える面)を研磨したものを顕微鏡下で観察する方法です。
これで何がわかるかと言いますと、絵画作品、特にテンペラ作品や油彩画の下地層からワニス層までの層構造を観察することができます(作品によってはワニス層がありませんので、下地層から絵画層までの作品もあります)。
なぜこうした断層構造を顕微鏡を使って観察するかと言いますと、画家の制作手順への理解を深めるためです。場合によっては「どういう素材が使われているか」や、「どういう顔料を混色しているか」など、目視では不明瞭な調査に関しても詳細を調べることができる場合もあります。
ですので、画家の技法材料への理解において、非常に有用な方法ではあるのですが、それは同時に作品上の絵画層の一部を失わなければ不可能な方法です。たかが1mm四方と思うかもしれませんが、作品から実際1mm四方を取った際の美観的問題は大きいため、作品からサンプルを採取する責任の大きさは計り知れません。
よって、実際にクロスセクションを実施するのは、作品からすでに絵画層の剥落片が落ちている上、それがものすごく小さく、もとはどこにあったか戻せないようなものがある場合。あるいは、作品の絵画層が画面上だけでなく、画布の張り代などにまではみ出している際に、そのはみ出し部分からわずかにサンプルを頂戴することとが多いです(とはいえ、そういう剥落片やはみ出し部分があるときに、毎度毎度実施するわけではありませんし、非常に特別な調査であることはご理解ください)。
あ、ごくごく小さい剥落片や、どこに戻したらいいのかわからないような剥落片は、別に廃棄するわけではないですよ。それらは薬包紙に包んで、「今は戻せなくとも将来的に戻せるかもしれない」ということで、きちんと保管することが前提です。ご安心ください。
閑話休題。実際ブログ主自身、クロスセクションは大学や大学院、あるいは文化財研究所(これは海外のものですが)にいたときにしか実施しておらず、「研究」ではなく「修復」メインの場(修復関係の会社さんや個人など)では殆ど実施はしていないものと考えます。それはそれだけ時間とお金と作品への負担がかかるためです。
実際こういう調査で使う顕微鏡というのは、小中学校の際に使った顕微鏡とは異なり、非常に高性能な顕微鏡だったり、「電子顕微鏡」など、特殊な顕微鏡を使っての調査だったりしますので、そんな高価な機材を修復会社さんがどれもこれも持っているわけにはいかないですからね…。そんなに気軽にできる調査ではないけど、「調査研究機関」だとできる調査と思っていただけるといいかなと思います。
非常に具体的な例を出しますと、ある学生が卒論対象の作品(学生自身所有の作品)の調査のため、サンプル調査(顕微鏡写真)を某調査機関にお願いしたところ、1調査で3万以上かかりました。これはクロスセクションではありませんが、大がかりな機械がでてくる調査などはどうしても高額ですからね…(調査してくださる専門の方の労力や知識料、そして機械使用料などがついてくるわけですから)。そんなに気軽にできる調査ではないのですよ(^^;)。
本日のまとめ
こういう調査を考える時、医療に置き換えてみると結構わかりやすいと思うのですよ。
病院にいった際、風邪のとき、歯が痛いとき、必ずしも体の細胞を採って、病理調査しないよね?ということを考えれば、「体から切り取ってサンプルを採る(血液や尿、便とは異なる)」調査って、よほどのことであるとご理解いただけると思います。
それは生き物ではない作品にとっても同じで。あるいは生き物の場合は、例えば皮膚を切り取っても、時間経過とともに自己治癒できますが、作品はそうではない分、オリジナルからサンプルを採る責任やリスクって大きいのですよ。
でもこういう調査が時には求められるんだと思うと、冷蔵庫や自転車の「修理」とは全然違うということはご理解いただけると思いますし、「壊れているから直そう」というお仕事でもないんだなということもお分かりいただけると思います(^^)。
いつもいつもやる調査ではないけれども、場合によっては専門調査機関に調査を依頼する必要があることもあるので、少なくともこういう調査方法やその調査実施のメリットを理解することは非常に重要であることをおわかりいただけるとよいなと思います。
というわけで本日は以上です。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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