ここしばらく(主に)紙に関するお話をしております。
「シリーズ」によっては、どこから読んでも…というものもありますが、このシリーズは専門用語といいますか、理解しておかなくてはならない部分がそれぞれの記事にてありまして、その理解がないともしかしたらわかりにくいかも…と思いつつおります。ですので、可能であればシリーズの最初の記事よりお読みいただけるとありがたいです。
ちなみに最初の記事においては紙の主要素となるセルロースに関して。2つめの記事ではそのセルロースに次いで紙を構成する2つの要素に関して。さらに3つ目の記事においては、具体的に紙の素材となる植物に関して簡略かつ代表的なものに限りますが記載しました。加えて4つ目の記事においては、これら先の3つの記事を踏まえ、いくつかの植物に含まれる構成要素の利率について説明。そして5つ目の記事では4つ目の記事の内容をもう少し詳しめにお話しております。これらに対し直近の記事においては、4つ目5つ目の記事で書いた事象以外の、紙の耐久性が失われる理由を説明しています。
当記事は直近の記事のさらに詳しく説明、みたいな感じになります。というわけで本文。
紙の劣化現象はどうして起こる?②
直近の記事にて、「セルロースの加水分解で有機酸が生じる」ことや、繊維の細胞膜が破壊された紙のほうが有機酸が発生しやすいことをお話しました。
上記に関して具体的に、リグニンという酸性物質かつ二重結合をもつ反応しやすい要素を持たない木綿(コットン)に関して考えてみましょう。木綿(コットン)が紙になる際は、「木綿のぼろ」を使っていたり、あるいはわざわざ「短繊維」の木綿を使用していたことは過去の記事で書きました。
ちなみに「ぼろ」とは、ということになりますが、大辞泉を引用しますと「①使い古しの布、ぼろきれ」「②着古して破れた衣服。また、つぎだらけの衣服」「③隠していた都合の悪い点。または失敗」「④破れたり、こわれたりしているもの。または役に立たなくなったもの」とされています。つまり、「ぼろ」に関しては「いったん布の形になっている → 布の形で場合によっては破れるほどに使用がなされたものである」ということがいえます。歴史的背景を考えれば、例えば中世ヨーロッパでは綿はインドなどからの輸入品だったはず。「綿花」も見たことがない時代であることから、「植物の先端に羊が育つ」みたいに思われていた頃なんですよね。中世のころよりよほど近世のアガサ・クリスティの本の中でも、「紙一枚、自由に捨てられない」という表現があり、「暖炉の焚き付け」とか、「文字通り灰になるまで使う」ように読み取れました。そういったことから考えると、中世の頃なんかは、布みたいなものは最初は服やらなんやらの状態だったとして、それが汚れました、穴が開きましたとなってもすぐごみばこにぽーいとはならず、雑巾になるまで使ったのかなぁと思ったりします。これはあくまでも推察ではありますが。だって、現代のブログ主でも、もうダメになったタオル類、靴下類なんかをウエスにして、あちこち掃除してから捨てますから…(←えっ、皆さん、やらないの?)。
ほか、木綿(コットン)を元とした布の場合は「短繊維」のものを使うとあります。短繊維のものというのがどういうものを指すのかはブログ主にとっては不明ではありますが、反面通常布となっているような正統派の木綿(コットン)は、紙の繊維としては長すぎて不都合ではある模様。これをもってして何が言いたいかと言いますと、「あくまでも紙の素材などによっては」ではありますが、「紙の製造過程」において「裁断」という工程が入ってくる、ということです。紙になる繊維は「長ければ長いほどよい」ではなく、ある程度の「短さ」にしないと紙にしにくいのでしょう。
勿論先に書きました「ぼろ」にしても同じことです。「ぼろ」というのはいったん「布」の状態になっていることが一応前提となっておりますので、布の状態のまま「紙」にはしないでしょう。だからこそ、「紙にできる状態になるほど、細かく切る」ということがおそらくなされるはずだと考えられます。
こう考えると、木綿(コットン)からできる紙って、確かに素材としては酸性で紙自体の脆弱化を招くリグニンを含んではいないけれども、「有機酸発生条件」を考えたときに、果たしてどう評価したものか…と思案したくなると思うんですよね。
本日のまとめ的なもの
この記事もすでに長い文章になってしまいましたので、次の記事に続きを引き延ばしてしまう点すいません(汗)。
ブログ主自身、木綿(コットン)紙の素材の「ぼろ」がどれほどの「ぼろ」なのかはわからないので、そこは推察するしかないのですが、それでも「紙になるべく育てられ、加工され」というものを使用した紙とは差がでるんでしょうね。当たり前と言えば当たり前のことなんでしょうが。
というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
コメント