大学では勉強せずに卒業できるの?1/4

修復を学ぶ

本日はたまたまタイトル通りの会話を耳にしたので、これを記事にしようと思います。

ただ、正直このタイトルどおりの質問が出ること自体が、「日本の大学」の印象なんだろうと思います。日本以外の全ての大学を知っているわけではありませんが(そして日本の全ての大学や学部の内実などを知っているわけでは全然ありませんが)、システム自体が違うと、そもそも学生が大学に来る目的自体が異なるため、タイトル的な質問をする人は日本以外では殆どいないのではないかなぁと思います。

とはいえ、日本の大学で学ぶ学生さんの皆が皆、遊び惚けているわけではないことは重々理解しております。特に理系学部の日付変更線を超えて研究している姿も知っていますし、国家資格取得の難しさなども聞き及んでおりますので、「十把一絡げにするなー!」という声が聞こえてくる気がします(汗)。また文系学部にせよ、日々真剣に向き合っている学生さんは勿論常に存在しているわけですので、そういう皆々様を無視しての発言ではない旨をご理解ください。

あくまでも、「最低ライン」として「最大限勉強しなく」ても「卒業は可能か」というような話です(汗)。

そもそも論となりますが、現在の日本の大学の在り方のお手本がどこにあるのかというと、中国やアメリカの大学の在り方を元にしているようです。

ただ、それらの国のやり方の「全て」を模倣するのであれば、そのシステムは「或る種の目的」を果たすという意味合いにおいては機能するのですが、日本の場合はそのシステムの一部のみを持ってきた感があります。すなわち、学生にとって有利なシステムのみを抽出し、学生と教員(あるいは大学)のバランスがおかしくなるシステムを持ってきちゃってるように個人的には思えているのです。

あくまでも先に、「現在の大学の在り方」という書き方をしましたのは、現在はブログ主が日本で大学生あるいは大学院生であった四半世紀前後ほど前の頃にはないことが、大学内のシステムに組み込まれているためです(正直大学で教鞭をとり始めて驚いたこともこれです)。

それは何かといいますと、学生が授業に対して行う「アンケート」です。

いわば、学生が教員あるいは授業に対して「逆評価」をするシステムなのですが、当然ながら全ての学生が「正当な評価」をするわけではありません。

例えばですが、あるあるの話で「哲学系」の授業は一般的に学生からの評価が低い場合があります。なぜならば、「哲学」は回答がある授業ではなく、己で回答を考える・見つける授業ですので、学生からすると数学的回答(あるいはもっと嫌な言い方をしますと、即物的回答)が得られないということで、モヤモヤするんでしょうね。「わけがわからない」「授業として受ける意味がわからない」という評価をされているようなことが多い気がします。

また、大学自体の在り方というのは、本来「無駄なものを得る場所」「より高い教養を得る場所」「実生活では役に立たないほどの特殊な知識を得る場所」みたいな、「すぐに効く特効薬」をお渡しする機関ではなく(小学校中学校のように、「普段使う何か」を教えるわけではないということです)、卒業して10年ほどたった頃にじわじわと効きはじめるような、そういうものを教える場所かと思うのですが、学生が「即効性」とか「早く得られる何か」を求めすぎているようにも思うんですよね、昨今。あるいは、大学という場所は「学生自体が考えるための種」をくれる場所で、その「種を育てるのは学生自身」であるはずなのに、その育てる過程を全てすっ飛ばして、「できあがった何かがほしい」と求めがちのように思うのです。本来、ビールやチーズのように熟成させる時間が必要なものなのに、その熟成期間である「考える」「時間を置いて、遠くから見つめる」のような作業を面倒くさがって「製品」を求めたがる。だから、「具体的に自分たちが実感できる何か」がないと評価しないですし、それだと本当の専門の深淵に関して教えることができない、大学で学生がすべき「考えること、自ら学ぶこと」をしようとしないという困った状況にもなります。

さらにもっと嫌な言い方をすれば、学生自身の個人的感情(先生自体の好き嫌い、レポートの難易度の高低、授業の難易度などなど)で、学生自身の授業への在り方を棚上げしての評価がなされることすらゼロではありません。はっきり言ってしまえば、「自分が高い評価をされるのは自分の努力のおかげ」「自分が低い評価をされるのは教員が悪いから、教員のせい」、こう考える学生すら少人数ではないというのが日本の大学のありかたかと思います。こういう感情というものは、ブログ主が日本でも海外でも大学生・大学院生をしていたころに持ったことがないものですので、正直に言えばこういう考え方の幼い学生に対し、肯定的な気持ちは申し訳ないですが、当時も今も持てないままいます。

さて、閑話休題。日本の大学の在り方のお手本は中国やアメリカからといいつつ、「輸入しているシステムは半分だけ」と申していることには理由が2つあります。

というわけで説明をしたいところですが、すでに長く書いておりますので、本日はここまで。次の記事に続きます。

最後まで読んで下さりありがとうございます。

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