このシリーズ最初の記事より、美術や絵画の発展の歴史について、ごくごく簡略的なお話ですが、書いております。また、美術史の順番どおりとしてまずギリシャ美術に関してや(ギリシャ美術続き①、ギリシャ美術続き②)、ローマ美術(ローマ美術①、ローマ美術②)、ロマネスクとゴシックおよび北方ルネサンスに関してすでに記載しております。
本日はすでに有名ではありますが、ルネサンスに関して簡単に。
なお、このシリーズの記事で常に同じに書いておりますが、当ブログでは美術史に関しごくごく簡略的なお話のみを書いていきます。あくまでもこういう記事を読むことで、当時の美術作品および西洋美術史などに興味を持ってただけたら嬉しいな、という記事であって直接研究やお勉強に役立つものではないとお考えください。
ですので詳細な美術史などを学びたいなどの場合は、いろんな文献などがでておりますので、是非そちらをご参照くださいませ(ぺこり)。
ルネサンス美術
先の北方ルネサンスに対し、いわゆる一般的な「ルネサンス」とよばれる美術の流れは、14世紀から16世紀にかけてイタリアで開始された「古典復興運動」を指します。
いわゆるジョルジョ・ヴァザーリの著書「美術家列伝」(16世紀)の中に、ミケランジェロやラファエロなどの芸術家によってふたたび完璧な姿となったといった、との記述を含み出てくる「リナーシタ(Rinacita イタリア語での『再生』)」がルーツの言葉といわれています(ルネサンス reneissanceは同根の言葉のフランス語です)。
古代ギリシャ・ローマで完成した美術が、その後の長い暗黒の中世の間を経て、14世紀のルネサンスの準備期間といわれるプロト・ルネサンス(原始ルネサンス)の頃に、チマブーエやジョットによって人間世界や自然に目を向けた美術が再生する兆しが見え始めてきました。いわゆる絵画の中の空間性や、人体の重量感といった現実的な要素が導入されてくるんですね。
この14世紀のプロト・ルネサンスの「人間の世界に再び目を向ける試み」というのは何か、ということですが、それまで人間世界というのは神学の影に埋もれていた、ということが前提です。
時代背景としましてこれまでは戦乱や疫病が続く混乱期であったため、「神に祈って守ってもらう」ことが重要視されていたからです。
今でもウクライナでは戦争がありますが、戦争行為は命に係わること。また現代でも流行性の疫病が流行りましたのでなんとなく当時の様子も想像できますが、14世紀などにも人の命に係わる疫病が蔓延していました。
こういった命に係わる状況、「死」が現代以上に非常に身近であったのが当時であった反面、医療というのが今のように発達していなかったということは非常に大きいことかと思います。当時の「医療」関係の方のご専門などを見てみると興味深いのですが、「占星術師」など占い関係を「医療」関係者が学んでいたりしますので、そもそもの医療のクオリティを現代的に考えちゃうと全く話がわからなくなってしまいます。
こういう「人生」が「神ありき」という時代背景だからこそ、学問も、絵画も、建造物も全てが「神様」中心の、画一化されたものになっていたところを、「人」を中心とした多様な視点が芸術に加わるようになっていったということは大きな発見といいますか発展だったのです。
すなわち、神視点ではなく人から見てどう見えるか、という人目線の視点になっていきました。画家ジョットによって、空間性や人体の重量感といった現実的な要素を絵画の中に導入することで造形表現上の革新につながりました。
15世紀となると、遠近法や解剖学といった科学的追及、あるいはローマでの古典の実証的研究により、絵画技法の刷新が充実化していきます。美術としてルネサンスが本格化する15世紀は初期ルネサンスと区分されます。
15世紀末からこのような画家や彫刻家、建築家たちのさまざまな試みが、のちのイタリア・ルネサンスの古典主義として大きく花開きます。
特に、レオナルドやラファエロ、ミケランジェロといった芸術家の作品の中には、堂々かつ狂いない人体表現、表情やポーズによる心理描写、バランスのとれた空間表現など、時を超えてなお威厳を保つ古典としての要素が備わっています。このような16世紀初めの30年間は盛期ルネサンスと呼ばれています。
本日のまとめ的なもの
ルネサンス美術の背景にはやはり当時の時事や歴史的背景というのが関わってくるのですがルネサンスの時代というのは結構小説の題材になるような有名人がいっぱいいたりするので、歴史本なんかを読まれてもふんわりと当時の雰囲気みたいなものの参考になるかな、と思います。
ブログ主が初めて行った海外はイタリアでしたが(大学の古美術研修という授業の一環で、油絵専攻の同級生22人の団体ツアーです。笑)、ガイドさんが色々歴史的背景を教えて下さって、いろんな作品を見る上での参考になったりもしました。ガイドブックだけじゃなく、もっと前もってイタリア関連の歴史本を読んでおくべきだったと反省しましたね(苦笑)。
現地で「メンントモリ(死を忘れるな)」という言葉を覚えたんだっけな。ルネサンスは華やかだけれども、ただ楽しい時代ではなかったはずなのよね。
当時というのはパトロンに芸術家が召し抱えられていたり、とはいえ簡単に他国や他地方とかライバル的な相手との戦いがあったりするので(パトロンがあっけなくこの世を去ってしまうこともあるため)現代ほど精神的に安定した世の中ではなかったろうと思ってみたり。
現代以上に「死」というものが身近にあって、「生きる」ことが「当たり前」ではないような感じとかもあるんですかね。なにか「生きる」ということに繋がる生々しさといいますか、根底に「死」という薄暗いものがあるからこそ際立つ華々しさといいますか。変な話ですが、すごく「自由な人」が「自由」を描くより、「自由を渇望する人」が描く「自由」のほうがきっとはるかに自由なのではないかといったような。そんな印象を個人的に感じたりします。
というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さりありがとうございます。
コメント