卒論、現実問題として大事なこと

修復を学ぶ

2つ前の記事にて、卒論のテーマを考える上で①興味不足、②知識不足、③プライドの高さが問題としました。

また「自分の論文が他人(特に同級生や後輩)からどう思われるのか(できない学生だと思われたくない)」という「他者評価」を気にしすぎていること、むしろ「自分の興味はなにか」「何が疑問なのか」という「自分本位」であるべきということを話ました。

その上で直近の記事にて「かっこいい」「箔のつく」ようなテーマを選択するのではなく、研究をする学生本人が「楽しい」と思えるテーマが大事と書きました。

直近の記事にて特に言いたいのは「楽」ではなく「楽しい」を必ず選択する、ということが選択条件として大事なのです。

ということで、当記事ではそもそもに「テーマ」は大事なんだけど、「テーマ」がかっこよければそのほかは万々歳といいうわけではないよ、というお話をしたく思います。

テーマ選択以上に大事なこと

この記事を読んでいるということは、おそらく卒論で困っているから読んでいるのだろうとは思うのですが、卒論で大事なことってなんでしょうか?

教員が計画している「卒論を書くことによって、学生に学んでほしいこと」というのは勿論ありますので、それはまた別の記事で書くのですが、とりあえず学生さん自身がやらなくちゃならないのは、ごく簡単にいうと以下5つのことです:

①自分で研究内容に関し文献で調べる

②①で学んだことを基に、自分で研究計画を練る

③自分で研究計画に沿って実行する(必要がある場合は適宜計画を修正しながら実行する)

④調査・研究したことからどういう「結果」が得られたのかを考察する

⑤以上を論文として表現する

こう書くと、卒論って難しい感じしませんね。実際これらをすれば、卒論は出来上がります。でも、難しいところは、これらを自分で自主的に実施する必要があることです。

今までレポートにしろ、課題にせよ、先生が「これ、課題な」と与えられてきたものをやってきましたよね。卒論はその課題(疑問、なぞ)を自らみつけて自分に課し、自ら能動的に研究、調査し、結論をだすのが論文です。

で、以上のことから何がいいたいのかといいますと、まず「実行可能なこと」をしましょう、ということです。非常に当たり前ですが、適正な「卒論」を書きあげ、「卒論発表」をしないと、卒業はできないからです。かっこいいことばかり考えても、実行不能であれば「絵に描いたもち」に過ぎません。

つべこべ言わずに「卒論を仕上げる」、これが「テーマ」云々よりなにより、やるべきことです(苦笑)。

ですので、カッコつけよりなによりも「実現可能なこと」をテーマにすべきですし、なにより「実現可能かどうか」は学生ご本人次第です。他者が「すてき!」とかなんとか思うことより、なにより、「卒業できるか否か」を最低限のラインとして考えてほしい。

後の記事に書きますが、大学卒業のための論文の場合、学科が学生に求めるハードルって「すごい論文を書いたか否か」ではないはずです(論文の評価内容などは、おそらくゼミの先生や学科長などに質問することはできるはずです)。ですので、最低ライン「卒業する」を目標とすると、卒論というのは、ゼミの先生の指導通りにすれば、困難すぎないハードルです。

言ってみれば、大学程度の論文の場合は、「料理をつくりましょう」と言われているのと同じです。「料理」と言われて何を思うのかはそれぞれの自由。「ご飯を炊く」も料理ですし、「フルコースを出す」のも料理です。でも、料理ができない人には先生たちは「フルコース」なんて求めないですよ。だって、「できない」ですもん。

課題「料理」で、他の同級生が「懐石料理」を作っているのに自分は「ご飯」だけかって悔しいかもしれません。「同級生や下級生に、あの先輩、あの課題で、あんなことやってるんだー」とバカにされそうに怖いとか、思うかもしれませんね。でも、作れない料理を、作れるっていう愚かさはわかりますよね?だって、料理できない人が「フランス料理フルコース作ります!」ってできないことをテーマにしても、「料理になっていないですね、留年」ってなっちゃうもの。だから、できない大風呂敷を広げるよりも、確実に今の実力でできそうな「ご飯」をできるだけ丁寧においしく炊くことに専念せよってことです、「カッコつけずに、卒業を目指せ」というのは。

ですので、自分の力量などを理解して、「卒論を提出できる」がゴールとして実現できるテーマを選ぶということが、生存的戦略として非常に重要です。反面、「今の自分の実力からすると、ラクショー!」ってことをテーマにするのではなく、その論文を仕上げたら、自分が一歩分成長できるようなものを選択するのがよいかと思います。人間の幸せは(ドーパミンか何かが分泌される時として)、「自分が成長したとき」というのがあるのだそうですから。自分の楽しさ、幸せのために、自分で自分自身を育ててほしい。

本日のまとめとして

当記事は、一言でいえば「適正卒論を提出できなきゃ卒業できないんだから、自分の実力に見合ったテーマを選択して、サクサクやるべきことをやろうね☆ でも、だからって逆に低レベルすぎる内容は、よくないから気をつけよう」ってことですが、皆さまはどう思われるでしょうか。

「当たり前だろっ!」というツッコミの嵐かなと思うのですが、現実としては、驚くほどにこれができない学生さんの割合は高いのです。

エヴィデンスがあるわけではなく、教員時代に学生さんを観察していた印象でしかないですが、最近の学生さんは素直なんでしょうね。「与えられた情報を記憶して、そのままアウトプットする」ということは上手な学生さん、多いです。でも、「情報自体に疑問を持」ったり、「なぜなんだろう」と疑ったり、情報に対して「自分の意見を持つ(あるいは持っているがそれを表現する)」ことができない、あるいは苦手な方が多い気がします。

ですので、試験や授業の後のレポートなんかは比較的上手だったりする反面、すべて自分でお膳立てして、実行して、自分の考察を述べるという「論文」においては、動けなくなる学生さんの割合は低くはありません。「自分の背中に責任が乗る」と怖くて動けなくなるのかな。それまではすべて教員の後ろをついてくればよかっただけで、責任がありませんから。ですので、卒論までの成績は高かったが、論文になると評価がかろうじて「可」という学生さん、少なくないです。

「自分の行動に責任を持つ」ということが初めて故に、「失敗したら、誰のせいにもできない!」というのがあるのか(そういう学生さんの内なる声を教えてもらえたことはないので推察でしかないですが)、「失敗をものすごく怖がる」傾向もあります。そして、結果として「怖い」と「動けない」んですよね…。

この「動けなくなる学生」さんの中には、もともとの成績(いわゆる試験の点数などですね)がよかったために、だからこそプライドもあるのか「こんな簡単な卒論テーマではだめ」って自分で思っちゃって自分の首を絞めているタイプの学生さんもいます。教員は「不安なくできそう」なテーマを持ってくるなど、手を尽くしているんですけどね(遠い目)。

学生さんの中には「自分はこういうことをしたいのに、先生がパワハラでさせてくれない」と思っている方もいるかもしれません。でも、よくよく振り返って見てほしい。先生側は「卒業させたい、だから、この学生の力量として【実行可能なこと】を選択させたい」なのかもしれないです。もっとわかりやすくいえば、「学生さんのやりたいこと」と「実力」が合っていないのかも…。こういうのは、教員はなにより「学生に留年して残ってもらったり、中途退学されるより、最短ルートでめでたく卒業してほしい」からです。これは善人ぶりたいわけではなくて、ゼミの学生の多さに比例して、それだけ本当に手間が増えるからです(苦笑)。学生さんが卒業できると、本当にいろんな意味でものすごくほっとするんですよ(^^;)。

というわけですでに大分長くなりましたので、本日はここまで。

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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