このシリーズ最初の記事より、美術や絵画の発展の歴史について、ごくごく簡略的なお話ですが、書いております。また、美術史の順番どおりとしてまずギリシャ美術に関してや(ギリシャ美術続き①、ギリシャ美術続き②)、ローマ美術(ローマ美術①、ローマ美術②)、ロマネスクとゴシックおよび北方ルネサンス、ルネサンスに関してすでに記載しております。
本日はマニエリスムに関して。
なお、このシリーズの記事で常に同じに書いておりますが、当ブログでは美術史に関しごくごく簡略的なお話のみを書いていきます。あくまでもこういう記事を読むことで、当時の美術作品および西洋美術史などに興味を持ってただけたら嬉しいな、という記事であって直接研究やお勉強に役立つものではないとお考えください。
ですので詳細な美術史などを学びたいなどの場合は、いろんな文献などがでておりますので、是非そちらをご参照くださいませ(ぺこり)。
マニエリスムとは:時代背景
レオナルドが亡くなる1519年あるいはラファエロが亡くなる1520年ころから、ルネサンスの古典主義とは異なるマニエリスムという芸術が台頭します。また、一般的に16世紀末から18世紀初頭にかけて生み出された美術をバロック美術と称します。この2つの美術の流れに関しては、この美術の流れ以前の1517年、ドイツのマルティン・ルターがカトリック教会による「免罪符」の販売を糾弾する「95箇条の論題」を発表し、宗教改革の発端となったことなどへの理解が、この時代およびこの流れを理解する上で重要な要素となっています。宗教改革によって、教皇庁は深刻な打撃を受けると同時に、教会内部の腐敗を痛感することとなりました。
キリスト教自体は、先に話しましたとおり、4,5世紀ごろからヨーロッパ世界に定着していきますが、当時は文字が読める人間が限られている上、聖書が日常言語とは異なるラテン語で書かれていたこと、さらには一冊一冊の本が人の手で書き写されていることから、聖書をはじめ本は高価でした。
さらにいえば聖書は、ある程度の位の高い聖職者以外は、読むことはおろか、見ることもできない代物でした。ですので長い間聖書は読むものではなく、教会で「聞く」ものでした。
しかし西洋における紙の発展、1445年におけるグーテンベルクによる活版印刷技術の発明により、聖書が大量に印刷され、多くの僧侶が手にすることが可能になりました。
そして同時に聖書を読むことにより、聖書の内容を正しく理解できるようになった下級僧侶たちは、今まで耳にしていた言葉が聖書の中身と異なることを知ったのでした。
教会が聖書の内容を独占し、堕落した解釈などがされていたのでしょう。そういう経過から信仰を変えようという流れができ、さらに今まで一般人にとってハードルとなっていたラテン語表記の聖書は、ルターによってドイツ語に翻訳され(これはルターがドイツ語を母語とすることから、ドイツ語が重要なのではなく母語に翻訳、という身近な言語に翻訳したことが重要なのです)、まず1522年にドイツ語訳聖書が印刷されました。
それまでは教会が聖書の解釈を独占していましたが、これによって教会の権威をゆるがされ、さらにそれが教会の支配していた中世ヨーロッパ社会を動かすきっかけとなります。
それまでの信仰というのは教会そのものへの尊敬であったのですが、ルターは聖書を自ら理解し、その聖書の教えに従うことこそが真の信仰であると考え、その考えを広めました。
これに端を発し、カトリックに対して対抗するものとしてのプロテスタント勢力が、カトリックから離れていくことになるのです。
つまり、16世紀前半に、いままで最も権威があり、信頼を得ていた教会への尊敬や信用が揺らぎ、かつ宗教改革によって新しい宗教観が台頭するなど、その当時としては世界観が大きく変わることが起きました。
さらに同じく16世紀前半にマゼランが世界周航に成功したことが、今まで否定されていた地球の球体説を実証する結果となるといった、当時からすると天変地異くらいの世界観の変化が生じます。
マニエリスムとは
こうしたそれまでの価値観が大きくくずれていく不安に満ちた時代の中で、盛期ルネサンスから変貌をとげたのがマニエリスムという流れでした。
マニエリスムという言葉は、イタリア語の「マニエラ」に由来した、フランス語です。英語でいう「マナー」、つまり作法や「やり方」という意味に当たります。ちなみに英語でこのマニエリスムを表現すると「マンネリズム」となります。
この「マンネリズム」あるいは「マンネリ」という言葉は、我々の感覚からすると、「なんら面白みもなく、いつも同じようなことばかりをお約束のように繰り返している」場合に使うことと思います。
実際、マニエリスムの画家に区分される美術家たちは、ラファエロやレオナルドたちによって完成されたと考えられる手法を用いて、完璧ととらえられる古典主義を模倣しながら、同時に己の想像力をよりどころに、自由多彩に、独自のスタイル、いわゆるマニエラを展開していきました。
特にマニエリスムの特徴は人体表現において顕著にみられます。例えば人体の肉付けの誇張や、引き伸ばされた身体、様式化した姿勢や派手な色彩などです。
このマニエリスム様式の作品には、何か頼りない印象や、不安定感が付きまといます。それらはすなわち、明確な奥行きのある合理的空間の欠如や、統一的な中心のない不安定な構成、あるいは思いがけない空間表現の効果や、鑑賞者との共感関係を拒否するとりとめのない表情や視線の方向、ゆるやかな曲線のリズムによる洗練された人為性など、一言でいえば極度に技法を凝らした作り物のような世界観となっているのが共通点です。
本日のまとめ的なもの
おそらく人間の本能のようなものかと思うのですが、現代の我々でも、人生において迷うときや、冒険的な状態にあるときは、「仁和寺にある法師」的に「先達はあらまほしきことなり」状態になると思います。
ぶっちゃけ「先生がこういったから」とか「こういうやり方したらバズるんでしょう」とか「今これが流行っているから」みたいな、不安なときほど追随すると安心という気持ちってあると思うんですよ。だって不安な時って怖いですからね(苦笑)。
でも、大体こういう他人に追随したり、責任逃れしたもので二匹目のどじょうが捕れることはなくて。特に西洋美術の世界では、過去から学び、さらにそこを否定して進展するのが定石ですので、おそらく過去に追随…となると腐敗しちゃうのかもしれないですね。
マニエリスムはマニエリスムでなんだかポップだったり、奇妙なぞわぞわ感が面白かったりしますが、当時の画家が願う「名声的なもの」からは遠かったのかもしれないですね。
こう考えるとほんと制作する人というのはなかなかややこしくて大変なお仕事だなぁと思いますし、そうやって試行錯誤して作られている作品のありがたみを感じますね。
というわけで本日はここまえ。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
コメント