直近の記事にて、「絵画」というものはあくまでもおおざっぱにいうと「表現を支える物質」と「絵画を表現するためのもの」の2つからなり、また、その「絵画を表現するためのもの(絵具)」を構成するものの一部分として主に「色彩」を担当する「顔料」というものがあるというお話をしました。
違う言い方をしますと、「絵具」は「顔料」のみでできているわけではなく、他の物質との混合で「絵具」なんだよ、というお話でした。
なぜなら絵具には、求められる要素がいくつかあって、「顔料」はその一部しかその要素を満たせないからです。
逆をいえば、「顔料」は「色彩」という要素は満たせるという物質だから、絵具として使われています。
では逆に、絵具に求められる要素とは何でしょうか。
絵具に求められる3つの要素とは?:まずはひとつめ
これはブログ主の独断ではなく、「画材の博物誌」(著・森田恒之、出版・中央公論美術出版、現在はおそらく絶版)を参照したものとなりますが、3つの不可欠条件が絵具にはあるようです。
一つは先の記事にも書きました「有色」という視覚的刺激があること。
また、単純に「色彩」があればよいというわけではなく、例えば旧石器時代末期に描かれたとされるアルタミラ洞窟壁画なんかはこれを書いている2022年の現在でもその色彩を識別することができるほど色彩が残っています(wkipediaフランス語版で確認したところ、赤、黒、黄色、茶の色彩は確認できるようです)。
ですので、単純に短期記録がしたいとか、一時的な練習としてとかではなく長期的な記録として考えれば「長期間変色しない・退色しない」ことが求められます(変色は色が変わること。本来の色彩とは異なる色味になること。退色は同じ色味でありながら、彩度や鮮やかさが落ちてしまうこと)。
また、顔料自体が「美しい色彩」であるほうがよいでしょう。
絵具というのは、色彩が混ざるほどに「濁る」性質がありますが、それは描き手が自分の好みとしてそうする分には「意志」ですのでよいですが、もともとの絵具が濁っているって、使いにくいですよね。
絵具に求められる2つ目、3つ目の要素とは
そして「絵具」が求める二つ目の条件は「物質」であること。空気や光ではない、ということです。
これは、今話している案件が「絵具」という話であって、「芸術」とか「作品」という話ではないので、そこはお間違いのないよう。
そしてこれは最後の3つ目の条件にかかってきます。「絵具」が求める最後の条件は「付着する」ということです。
あくまでも「絵画」というものは、2つ前の記事から考えると「絵を支えるもの」と「絵を表現するもの」におおざっぱに分けられますが、「絵を表現するもの」である「絵具」は「絵を支えるもの」にくっついてくれないと「絵」としては成立しません。
あ、一応言いますと、世の中にはインドの「コーラム」などをはじめとする「砂絵」があります。
ただ砂絵は多くの場合「その砂絵の破壊、消滅」までがサイクルになっており、「残す」が前提にはなっていません。
むしろ「早急に消えてくれる」ことが良いようですので、「残す」ための要素が含まれない。
ですので「色のついた粉末のみ」、いわば「顔料」的もののみで表現しているようなんですね。
ただ、多くの場合「絵画」は残すものなんです。「残すもの(遺すもの)」と考えると仰々しく感じますが、多くの場合「絵画」というものは「描いた人」と「それを見る人」という相違する2人以上の人間の間で交わされるコミュニケーションです(勿論ヘンリー・ダーガーの『非現実の王国で』のように、制作者の制作者による製作者のための作品も存在しますが)。それは小さなお子様がそのお母さまに「見て見て、こんなの描いた~」と見せる絵も同様と考えれば、「描いた人」が「見せるべき人」に見せるまでの間、少なくとも「残(遺)っている」必要性というものに対し、ご理解いただけるかも…と思いつつおります。
本日のまとめとして:絵具が3つの要件を満たすことで、ようやく絵画は「残(遺)る」ものとなりえる可能性を持つ
さて、現代の我々は、デジカメやスマホのおかげでずいぶんと気楽に「写真」という「イメージ」を遺していますが、こんな時代であっても、絵画が利用されている場合があります。
例えば、上皇様、上皇后様が退位なされる前に肖像画が野田弘志画伯により描かれました。
正しくお二人の姿を遺すなら、写真に勝るものはありません。その上で絵画なのはなぜなのかと考えたりします。
歴史的に考えられる絵画の意味合いとしては、装飾、祈り、個人的宗教的祈り(教会への寄付)、教会側のプロパガンダ、権力者の権威付けや美化、記録や情報、商業などが考えられます。
装飾などはやはり「ある一定の期間、残る」必要性がありますし、宗教的な意味合いの場合「神あるいはそれへの信仰という永遠性を表現するに際して、それが永く保たない」のは困ると、「砂絵」的な考えではない地域、時代では考えられており、だからこそ「残すための制作技術」が進歩したともいえます。
その他の要素は「広く知られる」「伝達する」あるいは「ものとして安全に移動が可能である」などが求められる事象ですのでやはり「砂絵」的で、壊れやすい状態では困るのです。
某「密林」で素敵な絵を買って、届いてみたら砂絵で、絵が絵じゃなくなっていたら、誰しも腹が立ちますよね(^^;)。
ただ、上皇様、上皇后様の肖像(絵画)というのは、おそらく写真にはない権威付けとか、尊敬、祈りみたいなものを現在だけでなく、後世にも残す、ということがあるんでしょうね。
絵具や絵画について、もう少々続きます。
本日も最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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